『神』がもし聖らかな天空の平穏を、祈りを、与えてくれたのなら、―古代の聖賢のように。―聖人、強者か、ふん、遁世者、いかさま芸術家か。
道化がいつまで続くのだ。俺は自分の無邪気に泣き出したくなる。生活とは風来の道化である。
ランボオ『地獄の季節』
いったい、いつまで生き恥を晒せば気が済むのというのだ。かつて青年の闘志も、幼き羞恥心も、みな罪と共に灰塵に帰した。罪の炎は胃を焼きて、熟れるはずのなかった甘い果実も、悉く枯れ萎れた。誇り。そんなもの、端からなかった。すべては陳腐な虚栄心による、とんだお座興にすぎなかったじゃないか。生活とは風来の道化と云った。まったく、あきれるほど、自分を見世物にすることを恥とも思わない世紀だ。かつての同朋は、まだ息をしているだろうか。ああ、最後の無邪気さよ。俺はもう一度、この身を精霊の森に捧げたい。
2024.4.20
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