人生は旅であるの本当の意味。旅行者ではなく旅人として生きよ

「人生は旅である」とよくいう。

簡素に的を射抜いた美しい言葉だと思う。

 

最近買った原付にまたがって、時速30kmでノロノロと走りながら、こんなことを思う。

  • 人生は『旅行者』として生きれば生きるほど、歯車が合わなくなる
  • 人生は旅であるのなら、堂々と『旅人』として生きよう。

 

旅人とはなにも、「未だ知らぬ土地を旅をしている者」を指すのではない。

『旅人』は行為ではなく、生き方そのものだから。

 

ボクは『この世界に生きるすべての人は、生まれながらにして旅人』だと思っている。

生まれたときに旅を始め、死ぬときに旅を終える。

 

これって、よく使われる比喩なんだけれど、

ボクたちは学校教育・メディアの影響を受けるなかで、「旅人」としての在り方を失って、「旅行者」として生きるようになる。

 

社会は、「成功」「お金」「地位」のような強烈なコトバで人の欲を煽り、

「貧乏」「食っていけない」「ニート」のような強烈なコトバで不安を煽る。

 

そんな社会を垣間見ると、ボクはたまに、ものすごく虚しくなる。

 

「人生は旅である」の解釈は、人によって違うけれど

  • 「人生を旅行する」のをやめて
  • 「人生を旅する」ように生きよ!

ということだとボクは思う。

 

 

1 「人生は旅である」が意味するもの

「人生を旅するように生きよ」とは、

内的な喜びを探求せよということ。

 

東南アジアを一周していたときの話。

ボクはラオスの首都ヴィエンチャンに向けて、660km離れたパクセーという街で、ヒッチハイクを試みていた。

そのとき、一緒にいた友人とこんな会話をした。

 

とむ
今目の前に2つの選択肢があるとする。
ろむ
うん。
とむ
1つが、ここからバスを使って、ヴィエンチャンに向かう。
ろむ
うん。
とむ
もう1つは、今しているようにヒッチハイクでヴィエンチャンに向かう。
ろむ
ほうほう、それで?
とむ
どちらを選択しても、かかる費用は0円だとしたら、いまここでどっちを選択する?
ろむ
ふむ。

 

普通に考えれば、バスのほうが得に思える。

わざわざヒッチハイクをしても、乗せてもらえないかもしれない。

おまけに、猛暑で暑苦しいし、道路の脇に立ち続けるのは、肉体的にも精神的にも苦痛だ。

 

けれど、苦痛や不自由の中には、代えがたい豊かさがある。

  • 不確実なヒッチハイクには、偶然の出会いと経験がある
  • 肉体的な疲労のなかには、「今日も生きた。」という充実感がある
  • 苦痛の末の成功は、言葉にならない達成感がある

 

短期的にみれば、目先の快楽のほうが得に見える。

けれど、自分の肥やしとなり、人生を豊かにするのは、間違いなく後者だ、とボクは思う。

 

旅人として生きるって、そんな内的な喜びを探求する生き方だと思う。

  • 不自由・不便・不十分のなかに豊かさを見つけて
  • 1日の終わりに「生きた」と思える生き方

 

2 「人生は旅である」とは幅のある生き方

旅するように生きたほうが、

「今日も生きた」と感じられる

 

最近、人の「生」は振り子のようだと感じる。

振り子の揺れが大きければ大きいほど、生気は高まって、「今日も生きた!」って思える。

  • 極寒のなか芯まで身体が冷え切っている。
    そんな時に、温かい暖を囲うと、「生きてるなぁ」って感じる。
  • 足がもう上がらないほど歩いた末に出会った自然の景色。
    自分で勝ち取った景色だからこそ、自然は語りかけてくる。
  • 山を下山するとき、滑って死にそうな経験をしたからこそ、
    生還したときに、「生きてる!」って思える。

 

人は本能的に、死から遠ざるように生きようとする。

生活に安定を求め、成功やお金を欲し、上手くやろうと、振り子の幅を抑えるように生きる。

 

けれど、「命」を目いっぱい生きることにおいては、逆だと思う。

あいにくなことに、

  • 「死」から遠ざかろうとすればするほど、「生」からも遠ざかる
  • 「死」が濃くなるから「生」も濃くなるのだ

 

苦しみがあるから、人の優しさに涙する。

悲しみを味わうから、喜びに胸が躍る。

不便があるから、便利さを享受できる。

そして、死にそうになるから、「今日も生きた」と感じられる。

 

もらとり
番長
「光があるから影がある」のようなものだな

 

上手くやろうとか、上手く見せようとか、しなくてもいい。

それよりも大切なことは、振り子をどれだけゆらして、どれだけ自分の命をまっとうできるか。

死に際に、どれだけ「俺は思いっきり振れて生きることができた!」と誇りをもって死ねるか。

 

旅するように、両極端に思う存分に振れながら、ゆらゆらと生きれたら、もっと生気豊かな世になるのだと思う。

人はみな、だれしもが旅人なのだ。

 

3 「人生は旅である」のなら振り子を思いっきり揺らす

人が命をありったけに生きられるのは

「振り子」を両極に思いっきり揺らすことができたとき

 

そんな、旅人らしい生き方をするには、実際に旅をしてみることだと思う。

 

風のように色んな土地をかけめぐりながら、人と出会い、自然と出会い、知と出会い、自分と出会う。

豪華な旅行のようにお金をかける必要はなくて、自分の手足を動かし、精神を用い、感じ、学べば、それで旅はできてしまう。

 

それは何も、「どこかに行く」といった行為に限定されることではない。

  • いつも電車で帰る道を、全部徒歩で帰ってみる
  • 雨の中、あえて傘をささずにずぶ濡れになってみる
  • 喧噪から抜けて、静かな自然と対峙してみる
  • 旅をしている誰かと会ってみたり、心にひっかかった古本を手に取ってみる

 

そんな日常のなかでも、振り子はいつでも揺らせる。

 

実は、ボクも明日から新しい旅をします。

 

原付にテントと寝袋をくくりつけて、日本中を駆けまわる。

大地の上で目覚め、景色と対話し、書を通じて哲学をし、夜は海辺で焚火をしながら人と言葉を交える。

 

実はボクの夢の1つに、ブログを読んでくださっている方と、直接お会いするというものがあります。

こうしてネット上でボクを見つけてくださったこと、応援のお言葉をくださること、そんな感謝をお伝えしながら、日本中をまわることが、今のボクのやりたいことの1つです。

 

もし「会ってもいいよ」という方がいらしたら、Line@でご連絡ください!

日程を合わせて、きっとお伺いします。

Youtubeでも、旅の様子を配信していこうと思うので、よければチャンネル登録してぜひ観てください(^^)

 

ではっ!

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