幽霊人間に足りないのはこの世の感触である。畑を耕す大地の感触である。[660/1000]

秋の樹の葉の地に落ちて朽ちたように―私のためには希望もまた枯れた。ここに来たときと殆んど同じままに―私はここから去る。―美しい夏の日々に私の魂を生気づけた高い勇気、―それも消えた。―おお、神の摂理よ、歓喜の澄んだ一日を一度は私に見せて下さい。―すでに久しく、まことの悦びの深い反響は私の心から遠ざかっています。おお、神よ、いつの日に―おお、いつの日に、―私は自然と人々との寺院の中で、その反響を再び見いだすことができるのですか!―もしかして決して?―否―おお、それはあまりにも残酷です!―

ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」

 

私自身、生きることに絶望していると、いい加減、認めなければなるまい。こうして毎日、神を想い、魂に慈雨を降り注いでやるのも、そうしなければ今日を生きるための気概を保つことすらできないからだ。無気力は悪であり、力は善であると言いつづけるのも、言いつづけなければ屈してしまいそうになるからだ。私の信仰は弱い。ゆえに、こうして毎日、信仰深く生きた人間の言葉に触れなくてはならない。今にも悪魔に身を攫われそうになるところを、人間の真の温もりによって跳ねのけようとする。

 

確かに明るい言葉で元気になることもある。だが、ただの耳障りのいい空虚なものであるなら、絶望はより深くなる。私の心に留まりつづける言葉は、いつも暗いものばかりだ。まさに、ベートヴェンの枯れ朽ちた土地から、神に祈られる誦句には、魂を元気づける人間の真の温もりがあった。暗いものは、陰気なものでも、ネガティブなものでもない。ドロドロとした宇宙の深淵を満たす、暗黒のエネルギーであった。この深く底知れない力によって、魂は賦活する。神に祈り苦悩して生きた人間の存在が、生に立ち向かう勇気となる。

 

私には生活する力があまりにもなさすぎる。朝の静謐は何よりも愛しいが、昼の喧騒に入り乱れれば、魂は行き場を失い彷徨いはじめる。小鳥のさえずりに耳を傾け、春の陽光を浴びていることくらいしか、昼との付き合い方を弁えていない。そうして穏やかにしていることが赦されるのなら、私はどれほど救われるだろう。平穏に生きてさえいればいいと「力」に言わせることができたら、どれほど救われるだろう。

だが、それにしても本当に陽気な季節になった。桜が咲き、緑は濃くなり、昆虫たちも活動をはじめた。風は温かく、穏やかに大地を撫で、心は幸福な気分に満たされる。束の間、絶望は忘却される。死への親しみの一部を、生に分け与えられるようになる。ああ、分かっている。私に足りないのはこうした生活なのだと。精神活動が増えるほど、幽霊になりやすくなる。そうした幽霊人間に足りないのは、この世の感触であると。畑を耕す大地の感触であると。

 

2024.4.9

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