傷つかない方法なんてない。安心して堂々と傷つけばいいのだ。

傷ついて、勇気をくじかれると、傷つかない方法を探ろうとする。

その気持ちはすごく分かる。

 

けど残念ながら、傷つかない方法というものは、この世には存在しない。

あるとすれば、それは「心を捨てること」を意味するのかもしれない。

 

だから、傷つくことへの「恐れ」を感じていた自分を認めてあげたうえで、どうか次の考えを受け取ってほしい。

私たち人間は、「傷つかない方法」を取っても、どのみち傷つく。

けれどそれでいいのだ。

傷つくことで、私たちは学び、命を守っているのだから。

だから堂々と、傷ついて、思いっきり泣こうじゃないか。

 

私思うのだけれど、人が傷ついている時の半分くらいは、『傷ついている自分に傷ついている』だけの気がする。

  • 「なんて私は弱いんだろう…」
  • 「こんなことに傷ついてたら、将来に希望なんて持てないよ….」

って。

 

もらとり番長
つまり、傷ついた自分への自己否定だな。
とむ
そう。

 

私たちが、より人間らしく生きるためにすることは、ただ1つだ。

傷ついたのなら、『安心して』傷つくこと。

そして、心のままに思いっきり泣くことだ。

 

傷つくことに、「不安」を覚える必要なんてまったくない。

傷つくことは、「人間の欠陥」ではないのだから。

 

全ての心の反応を、自分の味方だと信じられたとき、人は確かに前へと進んで行ける。

 

 

1 傷つかない方法なんてあるのだろうか。

傷つくことで、私たちの命は守られている。

傷つくことを通して私たちは学ぶ。

 

そもそも、傷つかない方法なんてあるのだろうか。

私は「ない」と思う。あるとしても、ブッタが悟りを開いたような、人間を超越するような異次元ごとである気がする。

 

それに傷つくことにも、実は意味がある。

「私たちは、なぜ傷つくのか」を問うてみると、その意義が見えてくる。

 

私たちが傷つくのは、「傷つくことで自分の命を守っているから」だと思う。

  • 走ってて人にぶつかれば、身体にあざができる。
  • タンスに足の小指をぶつければ、痛い。
  • 高い所から落ちれば、足の骨が折れる。
  • 料理のときに包丁の使い方を誤れば、指を切ってしまう。

こんな風に、不意に傷つくことで「痛み」を感じ、私たちは死を免れる。

 

「痛み」は、身体の危険を教えてくれてる。

痛みのおかげで私たちは学び、学ぶことによって生き抜く術を身に着けられる。

 

これは、心に関しても同じなのだと私は思う。

傷つくことを通して、私たちは学んでいる。

どのように対人調和し、どのように愛を育みながら、夢に向かって生きるか。

 

「傷つくことは悪いことだ」って考えられがちだけれど、逆だ。

「傷つくことは、生き抜く術を学ぶ良い機会」なのである。

 

傷のない世界を存在してみてほしい。

  • 「死ね」と言っても(言われても)人は傷つかない
  • 大切な人の命を奪っても(奪われても)人は傷つかない

 

なんか、すごく不気味ではないだろうか?

 

そこには、当然今の世界にある「優しさ」も存在しなければ、愛も当然存在しない。

あるのは、傲慢で強欲なままに、傷つけ合いながら(傷つかないけれど)生きる「人間」だ。

 

そう考えてみると、「傷つくことを通して、初めて人に寄り添える」というのが、本当だと分かる。

傷があるから、私たちは優しくなれるし、愛を大切にしようと誰かと手を取り合える。

 

もらとり
番長
傷つくことで、人は深くなるし、大きくなれるのだな。

 

何気なく生きてきた過去を振り返ってみてほしい。

そのときは苦しかった「傷」も、結果的に今の自分の背中を押してくれていることに気づけないだろうか。

 

そんな気づきを得たときに、初めて傷のとらえ方は変わる。

傷つくことは、よりよく生きるための、学びであって

傷なしに、私たちは豊かにはなれないのだと。

 

2 傷つかない方法をとっても傷つくのが心

「傷つくこと」は人生から取り除けないし、取り除く必要もないもの。

傷つくときに、しっかりと傷つくことは、何にも悪くない。

 

先の尖った刃物を皮膚の上に滑らせば、どうなるか。

言うまでもなく、皮膚は切れ、血が滲み出てくる。

 

心も同じだ。

  • 「死ね」とか「きもい」とか「お前じゃ無理」とか「頭悪い」とか言われれば、しっかりと傷つくし
  • 大切な人を失くしても、大切なものを踏みにじられても、好きな人に振られても、挑戦に挫折しても、心は痛む。

 

こんな風に傷つくことは、人間の欠陥なのだろうか?

いや、決して人間の欠陥なんかじゃない。

 

むしろこれが、心の正常な反応だ。

綺麗な心であればあるほど、傷つくときには、傷がつくのだ。

 

「傷つかない方法」がこの世にあるのかどうかは、私は知らない。

けれど、仮にあったとしても、大切な人を失くし、悲しむべき時に悲しめない心なんて、私は虚しいと思う。

 

悲しいときに「悲しい」と言えて、苦しいときに「苦しい」と言えるって、素敵なことだ。

少なくとも私は、そんな心に美しさを感じるし、その純度を保つ心には、「繊細な強さ」を感じる。

 

だからこそ、私はこう願っているのだ。

そんな美しい心をお持ちなら、どうかいつまでも美しくいつづけてください。

傷ついて泣くのは、決して弱いからではなく、強く生きている証拠なのだから。

と。

 

3 傷つかない方法を取ろうとすると何かがおかしくなる

傷つかないでいようと心がけているとき、傷を『悪』と捉えている。

傷を『悪』と捉えれば、「傷ついている自分」に傷ついてしまう。

 

冒頭でも書いたように、人が傷ついている時の半分くらいは、『傷ついている自分に傷ついている』だけなのだと思う。

  • 「あんなことを言われただけで、傷つくなんて、なんて私は弱いんだ」
  • 「こんなことに泣いてしまう自分は、なんて泣き虫なんだ」
  • 「この程度のことに傷ついて、私はやっていけるのかしら…」
  • 「今の私じゃダメだ。もっと強くならなきゃ。何かを変えなきゃ」
  • 「私の心はきっとトラウマだらけなのね」

って。

 

これは「傷つくこと」を悪だと捉えているゆえ、「傷ついた自分」を見て自己否定に陥ってしまうわけだ。

もう一度はっきり言おう。

 

「傷つくこと」は決して悪ではない。

それゆえ、傷ついた自分を蔑む必要は断じて一切ない。

 

傷ついたときは、「自分の心の美しい部分が滲み出たからだ」と思ってみてはどうだろう。

傷ついた自分を、見ぬふりをして、痛みを麻痺しようとするのではなく、抱きしめて抱きしめて、大切にすればいい。

 

「泣いたら弱い」と思うのは筋違いだ。

私たちは、痛みを受け入れて「泣く」から強くなれるのだ。

 

もし泣くことで、あなたを弱者だと嘲る者がいるとすれば、その者が傷を受け入れる「強さ」がないからだ。

慈悲の心を持って、距離を置けばいい。

 

泣くことで、傷を負うならば、もっと泣けばいい。

それでも傷を負ったのなら、また泣けばいい。

 

なんだか、こんなことを書いていたら、岡本真夜の「TOMORROW」を思い出した。

「涙の数だけ強くなれるよ、アスファルトに咲く花のように。」「プライドとか捨てたらまたいい事あるから」

 

本当にその通りだと私は思う。

 

4 傷つかない方法がないのならどうするか。

傷ついたら、思いっきり泣けばいい。涙の数だけ、傷は癒える。

それでも癒えなければ、傷を負って生きろ。それは別の可能性を開いてくれる。

 

「涙の数だけ強くなれるよ」というのは、「涙の数だけ傷が癒える」からだ。

 

人の心は、筋肉と同じだ。

筋肉は、筋線維が損傷し(これを筋肉痛という)、修復する過程でより強固になると言われている。

心も傷ついて、涙を流す過程で、より強固になっていく。

 

これは私自身も、実体験から語れる。

かつて私は、車上生活をしていたとき、毎晩のように涙を流していた。

 

今振り返っても、その時期を起点として、強くなったのが実感覚で分かる。

(その時にまとめた記事がこちら。)

 

ただ、先日ある男との出会いを通して、別の生き方もあることを知った。

「癒えない傷を、傷だと受け入れ、背負いながら生きていく」生き様だ。

 

以前も別の記事で紹介したけれど、私が出会ったその男性は、中学時代に付き合っていたパートナーが性的な暴行を受けたことで心に傷を負った。

彼は学校にも行けなくなるくらいに、心を傷を負い、人を信じられなくなったという。

 

そんな彼は、傷を受け入れ、強くなり、今を生きていた。

「癒えない傷もある。だから俺は、このまま傷を背負って生きていく」

そんな言葉を聞いた私は衝撃を受けたのだった。

 

この言葉を聞いたとき、ワンピースを思い出した。

頂上戦争で敗れたルフィたち麦わら一味は、各々がパワーアップするために、2年間修行をする。

 

2年後に彼らは、見た目も力も、まったく別人になって帰ってくる。

中でも、特徴的なのが、ルフィとゾロだ。

 

ゾロの左目は傷で閉ざされ、ルフィは胸から腹にかけて大きな×印の傷を負っていた。

それを見て、私はカッコイイと思うのと同時に、力強さを覚えた。

 

私が感動をおぼえたのは、その傷跡が何よりも、真正面から生きてることを物語っていたからだ。

おじいちゃんの顔一面に広がるシワが、たくさん笑って生きたことを象徴しているように、

傷跡は真正面から人生を生きたことを証明してくれる。

 

傷を負ったことを、負い目に感じる必要はない。

むしろ逆だ。

 

傷跡は、私たちが真正面から生きた証だ。

だから自信を持って、傷跡を背負って生きればいい。

 

たくさん傷つけばいい。

たくさん泣けばいい。

たくさん傷跡を残して、

たくさん生きればいい。

死ぬとき、笑って死ねるように。

 

5 まとめ

ここでお伝えしたかったことは、次の5つ。

  1. 傷つくことで、私たちは学び、命を守っている
  2. 傷つくことより、「傷ついた自分」に傷ついていないだろうか。
  3. 「傷つくこと」は悪ではない。そのことに気づけたとき、何かが変わる。
  4. 傷ついたら思いっきり泣けばいい。涙の数だけ傷は癒える
  5. 傷跡は、真正面から人生を生きた証だ。道中泣いても、最後に笑えればいいのだ。

 

堂々と生きよう。

これでいいのだ。

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