しとしと雨が降る朝の、心についての雑記[310/1000]

染井吉野が散ったのがはるか昔のようで、名の知れない桜たちも、やっと花びらを落とし始めた。君たちを見る人間は多くはないけれど、足元でどんちゃん騒ぎをされない分、実は幸せなのかもしれない。雨風に揺られて落とすその花びらは、きっと誰かの心へ飛んでいくのだろう。シトシト雨が降るこんな日は、木々のようにぼーっと何もせず、熱いコーヒーをちびちびすすりながら、静かな雨音に包まれて言葉と戯れていたい。怠け癖が顔を出し、心の引力は緩まって、日頃の鬱屈したあらゆる感情を引き留めるものは、もう何もない。エゴが強まるほど心は引き寄せ、自然を想うほど放心する。何もかも力みすぎなのだ。そして欲張りすぎなのだ。すべてを自然の法則に委ねていれば、心はそう簡単に黒ずんだりしない。

 

自由になったのも束の間。現実に引き戻されれば、肉体は労働に縛られる。この足枷は不自由ではあるが安心でもある。しかし、心に鎖がかけられたなら、己はこれに耐える強さを持たない。生きがいも、やりがいも、おもしろさも、たのしさも求めない。好悪の感情から離れ、自己を犠牲にすることに労働の美徳を見出したはずなのに、生命は不自由に耐え切れず、堕落しそうなギリギリを毎日彷徨う。労働は嫌なのは当たり前。辞めたいと思うのも自然のこと。これがデフォルトであり、引け目を感じることはない。ここからどれだけ生命をぶつけられるかが勝負なのである。

 

2000m級の山々に囲まれたこの地は、4月も下旬だというのに、いまだ朝晩は0度近くまで冷え込む。ようやく春の風が舞い込んできたと思ったのに、まだ冬物のダウンを手放せない。身体の芯が冷え切っていると、どれだけ上着を重ねても、ちっとも暖かくならないのは、心も同じである。こういう時は、一度すべての服を脱ぎ捨て、素肌を大気にさらすことだ。すると見えないスイッチがパチッと入り、シャツ1枚を着るだけでも、とても暖かく感じるようになる。心も同じで、シャツ1枚で戦えるようになれば、何にも怖くなくなる。

さて、心がシトシトしていたら1日を始められない。1日を始めるときは、心をカラッとさせにゃならん。お日様が恋しいが、今日はその代わり肉体を空気に晒し、さあこれで今日1日を闘おう。おぼえておくのだ。消極的な言葉を発するのは、いつも心が芯から冷えているとき。心が芯から温まれば、がんばらなくても心は積極的な言葉を放つようになり、そしてそれは、いつも生身の身体と対応しているのだ!

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