ただ透明になりたくて、殺してくれと神に乞う。
冷気の刃は体を貫き、心が綻んでいく先に、深い安堵を感じている。
生と死を繰り返す大きな呼吸の中にいて、あなたの呼吸を感じさせてくれと、
小さく祈りを捧げている。
書けなくなるが先か、読まれなくなるが先か。
1000日投稿も200日目を迎えた。150日目くらいのことであった。山本常朝の葉隠に影響を受けて「自分を死なせる」とか「早く死ぬ方を選ぶ」とか、生の衝動に凝り固まる自分に荒々しい言葉を使い始めたときは、少しずつ増えていた読者も半数以下になった。悲しさを感じながらも、その日ごとのすべてを書き記している以上は仕方ないことであった。
数に媚びることなく、読まれなくなる方を選べたのなら、死に向かえたことを意味する。数に媚びては見苦しくなるだけであり、悔いのないように記して読まれなくなるのなら本望じゃないかと自分に問うていた。
今日の読み手の数は100日前と変わらない。書き始めて10日目くらいともほとんど変わらない。しかし、ずっと読み続けている人がいる。あなたは誰だろう。思い当たるかぎりの人の顔を何度も想像した。しかし、知らないままでいたほうがいいと思った。誰に読まれているのか知らないまま、忍ばれて、忍ばれて、この感情を大きく膨らませていきたい。
連絡もいらない。その代わり私に知られることもないまま、読み続けてもらえることを願う。
過去には、多くに読まれるより忍ばれたいと思ったことがあった。今もそれは変わらない。なぜならここは私にとって聖域のような場所だからである。しかし、ここまで読んでくださっている人には、とことん読み続けてほしい。大したことは書かれず退屈な文章もあるだろうが、読み続けることは、書き続けることと同じように大変でもある。書けなくなるが先か、読まれなくなるが先か。そんな勝負を勝手に始めている。読まれなくなるまで書き続けたいと思うが、ここまでの感じきっと相手はかなり手強い。
恋の至極は忍び恋と見立てし候。一生思い死ぬ恋こそ恋の本意なれ。忍ばれるほどに、恋の丈は膨らんでいく。この圧力に肉体が耐え切れなくなれば、恋はすぐに欲望化されるだろう。純粋な形のまま抱えておくには、肉体にとって苦しすぎるのである。しかしすべてが欲望と化されてしまえば、人間から静かな美しさはなくなる。苦しくとも純粋なままに内に留めておきたい。純粋なものを抱えたまま命を終えられたい。
精神修養 #111 (2h/229h)
ちゃんと寝ていても、眠たくて瞑想どころではなくなるのは、やはり食事が理由だろう。一日一食で、玄米と野菜で腹を満たしていた時は、早朝も夕も意識が鮮明で、何なら深夜に目が覚めても(3時間ほどしか眠っていなくても)、意識が澄み渡っていてこれ以上眠る必要はないのではと思うこともあった。瞑想においてすら、意識状態が不透明であれば、日常においてどうして透明になろうか。もし本当に食事が理由で呼吸が埋もれてしまうのなら、食の質が生活与える影響は大きい。
禅において効用は結果的に得られるものであり、効用を求めて座るものではない。自分を死なせることが目的となりながらも、この目的を持ってしまえば、そこには自分が生きているということを覚えておかなければならない。
[夕の瞑想]
呼吸の中に自然の法を感じられる瞬間があった。
「ただ透明になりたくて、殺してくれと神に乞う。
冷気の刃は体を貫き、心が綻んでいく先に、深い安堵を感じている。
生と死を繰り返す大きな呼吸の中にいて、あなたの呼吸を感じさせてくれと、
小さく祈りを捧げている。」
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