何としても病を克服し、人間本来の尊い状態にならねばならぬ[994/1000]

軍隊生活において私が苦痛としましたことの内で、私の感情―繊細な鋭敏な―が段々とすりへらされて、何物をも恐れないかわりに何物にも反応しないような状態に堕ちて行くのではないかという疑念ほど、私を憂鬱にしたものはありません。私はそうやって段々動物になり下ってしまうよりは、いつまでも鋭敏な感情に生きつつ、しかも果敢な戦闘を遂行したい衝動にかられています。しかし私は無理はしません。一瞬は驚き、たじろいでも次の瞬間には最善の方法を落ち着いて実施して行くというように、自分の性格を生かして最後の勝利に向かって邁進したいと思います。

「きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記」

鬱になったところをみると、私は「虚証」だったらしい。男というもの豪胆無比に強くあれと密かに憧れつづけてきたが、そうした「実証」の人間に、私は先天的になりえないのである。思えば、隠者になろうとしたのも「虚証」ならではである。疲れやすく、体温調整が苦手で、繊細な感性を持つわれわれは、山に入って穏やかに暮らすことに幸福を感じたのである。鴨長明も兼好法師もヘンリー・ソローも、虚証の人間だったのではなかろうか。社会の表舞台で疲れ知らずに働くエネルギッシュな「実証」の人間たちとは、同じようにすることはできないのである。その代わりといっては、花鳥風月を愛し、詩歌を詠む感性に長けたのである。

 

とはいえ、食を正せば「中庸」に近づくようで、鬱が吹き飛ぶ。私自身、畑仕事を余裕でこなせるくらい体力はついた。鬱を克服した虚証の人間に現れる性質は、親切や慈しみだともいう。人間本質が愛であればこそ、地上に堕落させる病(鬱)が消え去れば、自ずと本来の性質が現れてくるように創られている。「病は人間を高潔にするか」とハンス・カストルプは議論したが、今はっきりとノーと言える。病は死を親しむきっかけにはなるかもしれないが、今日にかぎれば、大半の病は堕落による損傷、悪魔に敗北した状態にすぎない。われわれは、何としても病を克服し、人間本来の尊い状態にならねばならぬ。それが、自分を大切にすることであり、両親や、ご先祖様を大切にすることである。さらには、社会や国が生まれ変わる一番の近道である。歴史に則ったやり方に食を正せば、腸内細菌は賦活する。精神性が高まり、深い幸福を感じられるようになり、国を真に想う魂の力も賦活するのである。

 

まもなく、千日を迎えるところでありますが、これをお読みいただいている方につきましては、くれぐれも食べる物には気をつけていただいて、心豊かで幸せな生活をおくっていただけますよう、心から願っております。

 

2025.3.11