金輪際、甘いものは食わぬ。②[991/1000]

魂の修養を掲げて千日近く言葉を綴ってきたが、まさか最後の十日に及んで、願ってもなかった真理に辿り着けるとは。今日991日目をもって、最後の1%に突入することになる。きっとここまで踏ん張ってきた褒美として、神様が贈り物を下さったのだろう。

 

半年以上、毎日二時間瞑想したこともあれば、真冬の朝に乾布摩擦をしたこともあった。古典書物に挑戦することもあれば、詩を綴ってみたこともあった。魂の救済だとか、精神修養だとか、格好つけたことばかり言ってきたが、鬱となり、引きこもりとなった私が目指したところの第一は、心を元気にすることだった。不必要に心を怒らせたり、悲しませたり、怖がらせたりすることなく、正直、親切、愉快に、力と勇気と信念とをもって、毎日を生きられたらと、そう望んではじめたことであった。

 

勉強しても修養しても徳を積んでも、心は変わらぬ。だが、甘いものを金輪際食わぬと、覚悟を据えると、最後の自己欺瞞は完全に燃え尽きた。以前なら心を煩わせていたようなちょっとした事件に遭遇しても、波風一つ立たぬ海原、もしくは草原に穏やかな風が吹くような心境で、冷静に物事を見つめられるようになった。

無論、甘いものを絶って数日の身、結論を急ぐのは早い。だが、甘いものを口にしたときに生じる、一抹の罪悪感、魂が堕落する感覚、現世に縛り付けられる感覚を見ぬふりしようと、この千日間、いや十年も二十年も自己を欺きつづけてきたのだ。欺瞞を打ち消すには、「ご褒美」と言えば十分だった。いまや、この自己欺瞞を完全に認めるのだから、甘いものを食わなくなって三日に過ぎずとも、過去の十年、二十年の心の経験値をもって、物事を言えるのである。甘いものがすべての原因であったと。

 

甘いものが食えなくなるなんて人生損だ、好きなものを食えない人生の何が楽しいのだと、そんな考えも散見するが、これらも同様、価値観多様のヒューマニズムの陰に隠れ、欺瞞をかき消すための口実を放っているに過ぎない。今味わっている美味しい思いは手放さない。できるかぎり、痛みのない方法で病を治したい。そんな心につけ入るように、多種多様な商法が人間の心に偽りの希望を与える。砂糖は駄目だが黒砂糖はいいとか、菓子は駄目だが果物はいいとか、断食すればあとは何を食ってもいいとか、罪の意識を抱えぬように皆で免罪符を交換し合っている。そうでなく、甘いものが駄目なのだ。駄目なものは駄目なのだ。薬物より依存度があるとされる代物には、そのくらいの覚悟がないと太刀打ちできぬのだ。

 

あと十日で、千日投稿は終わる。私自身、経過をどこまで書き残せるかは分からぬが、この千日投稿を終えた先に、いよいよ新しいものが拓けていくような予感がしている。何度も書くが、私はついに最後の欺瞞を焼けれたようで、とても有難く自由な心境にある。積極一貫であることに魂が歓喜していることを記して、今日の筆を置くことにする。

 

2025.3.8