「絶対積極の精神」と「絶対負」について②[979/1000]

造物主はどんな悪人といえども、この世に生きているかぎりは、その人間の生命の火を寿命の続くかぎりは燃やしてやろうという尊い思召しをもっていられる。

(中略)

だから夜の寝際はもっときれいな気持ちにおなんなさい。もう、世界一自分よりきれいな気持ちはないぐらいの人間になってお寝なさいよ。

中村天風「成功の実現」

中村天風先生が教えるのは”絶対”積極の精神である。ちょっと風に吹かれたくらいで信念が左右されてしまうような、地上のご都合主義ではない。いつ、いかなるときも、無条件に、積極的な精神を持つことを教えている。今日、自分が置かれている困難な状況や、年齢、体調といった肉体状態を一切考慮しない。どんなときであれ、”絶対”積極である。そう在れる力を神は人間に与えている。

 

消極的であることによって享受できるものもある。どん底に寠れた人間にしか紡ぎ出せない陰惨な詩もある。それが神の形式に沿うならば、世に認められずとも文化的な価値はあるかもしれない。だが奈落の底に堕ちきるほど強い運命はあるものか。薄暗く、陰惨なものにほんの少し興味があるからといって、消極性にちょっかいを出せば痛い目を見る。そのほんの少しから死の風はどっと吹き込み、たちまち自分の力では制御できなくなる。「絶対」が崩れたときには、もはや積極精神は存在しないのである。

 

絶対積極の精神は、絶対である。いま個人が置かれている状況や状態を問わない。いかなる人間も強く、人間存在の本質である力を信じつづけることである。当たり前だ。どんな人間も天から火を授かり燃やしている。例外はなく、誰もがこの瞬間から強く在ろうと願えば心は好転する。そんなただしい心持ちであると、いい加減覚悟を決めることだ。

「絶対積極の精神」と「絶対負」について[358/1000]

 

2025.2.24