「月光の森」ここに誕生。[464/1000]

森の家に扉がついた。明日、窓枠に窓を張っていけば、機能的な家としてすべて完成する。窓にも扉にも、鍵すらつける予定はないが、性善説を信じるというよりは、悪を犯す力をもちあわす人間と、悪を犯す必要に迫られた人間は、このような田舎の森の奥にまず来ないだろうという思いのほうが正直なところである。仮に鍵をつけたとしても、本気で突破しようと思えば、女性の力でも、窓や壁を簡単に打ち破って侵入することができる。どのみち気休め程度のものであるし、私としても、ただでさえ世間から距離があるので、これ以上閉じこもるよりかは、なるべくオープンでありたいという心境である。

 

変な感想だけれど、完成間近の家に佇んでいると「ここなら安心して死ねる」と思った。もちろん、これは本当に死ぬということではなく、永遠に向かって身を委ねられるという意味である。この家の中にいると、時の清流のなかに身を置いているようなのだ。上流には鴨長明の魂を感じ、下流には世俗から離れ、隠遁を試みる未来の青年の魂を感じる。家のなかは時間の感覚がおかしくなりそうなほど静謐な空気が流れ、止まりそうなほど静かな呼吸があり、肉体は溶け出して流体と化していくようであった。この自己が永遠に結び付けられていく感覚こそ、先に書いた死のニュアンスである。

 

感覚的な表現がつづくが、生の衝動に息苦しさを感じる人間は、ここに来れば元気になるだろう。森は木漏れ日が降り注ぐも、陰の力が極めて強い。この家もまた陰の力に満ちた場所である。安心して死ねることの安堵は、物質主義の現代では得難いものである。けっして陽の目を浴びる場所ではないが、太陽に照らされすぎ疲弊した人間には、月光を浴びるように体調を整える場となる。

 

ここの森の名前を色々考えていたが、中々しっくりくるものが思い当たらずにいた。しかし今、「月光の森」と名づけようと直感した。木々が高いため、月光を浴びるには場所を選ぶが、月光のごとくの陰の力に満ちた場所であり、太陽を主とするよりは月を主とするにふさわしいように思う。

また、月は恋の象徴である。武士道には忍び恋という考えがあるように、恋の力は精神を高みへと向かわせるための崇高なエネルギーである。今日からここは「月光の森」である。これから訪れる人間、また森に暮らす人間が、月と語り合い、恋を胸に秘め、忍ばれた力によって、気高くあれることをここに願う。

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