苦しんでいる人間に今日を生きる力を与えてくれないか。[566/1000]

やりたいことを探して、幸せになれた試しが一度でもあっただろうか。

金になるかならないか、成功するかしないかを考えはじめれば、未来の灯火はひとつずつ消えてゆく。未来の可能性を探しているようで、自らの未来を狭めてしまっているのだから、苦しくなってしまうのではないのかい。

われわれは「現在」を生きる人間だ。「現在」にしか生きられない人間だ。ありもしない未来のために現在を否定することは、命を否定することと同じだ。命を否定すれば、死にたくなる。そんなことあっちゃならない。命を否定して、死にたくなるなんてあっちゃならんだろう。

 

目の前のことにぶつかっていく。これが希望と力の道だ。なぜならば、われわれが「現在」にしか生きられない存在である以上、「現在」に力を注ぐことだけが、生命に対して誠実さを示す唯一の方法であるからだ。現在に直接力を注いだ結果として、次なる「現在」、つまり希望は拓けるものだからだ。われわれは、永遠の現在を生きる。「現在」から「現在」へ、たすきを渡す。いま、この瞬間、力強くあることだ。元気であることだ。

 

私はエネルギーを賛美する。力を善とし、無気力を悪とする。存在しない「未来」のために、今日生きる力を殺してはならんだろう。やりたいことをやる、大いに結構。ただし、「現在」いまここに存在する自分の力を、断じて忘れるな。われわれは力のある存在なのだ。

神よ。苦しい人間と、死にたくなっている人間に、どうにか今日を生きる力を与えてくれないか。今日に力を注がせてくれないか。今日に力が流れれば、命は赦されるだろう。

 

***

 

endless rain falling on my heart 心の傷に

let me forget all of my hate all of my sadness

 

x japanの詩に、海から生じた泡沫が海へと消えてゆく、現存在の哀しさ、現象界で出会う人間の哀しさ、魂の悲哀をずしずしと感じている今日。悲哀の人生を抱き締めよう。

 

2023.1.7

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