「ハムレット」「マクベス」「リア王」「オセロウ」、シェイクスピアの四大悲劇を改めて読み直している。
私はどうも「リア王」に共振する部分が多く、リアの台詞をつい暗唱した。王の座から乞食同然、地に堕ちるリアが荒野をさまよい、大嵐に身を投げ出し、天の怒りにこだまする姿は、凄惨であるが魂に響く。
風よ、吹け、うぬが頬を吹き破れ!幾らでも猛り狂うがいい!
雨よ、降れ!滝となって落ち掛れ、塔も櫓も溺れ漂うほどに!
胸を掠める思いの如く、速かなる硫黄の火よ、槲を突裂く雷の先触れとなり、この白髪頭を焼き焦がしてしまえ!
いかにも、王族も貴族も華族もない今日は、「堕落」も「零落」も死語である。しかし、魂のある人間についていえば、全体と個人の関係のほかに、己と神の関係があり、道徳を破り、恥を感ずれば、堕落するものである。
堕落した人間が欲するのは、父なる怒りだ。神のいかずちに脳天を叩きつけられ、一度破滅したいと願うのが、罪に耐えきれぬ堕落した人間の不幸な嘆きである。堕落が死語となり、堕落が現象として失われれば、魂の償いは虚空を彷徨いつづけるしかあるまい。
今日、世を覆うのは、母なる赦しであるが、忘れてはならないのが、キリストが神の愛を説いた時代には、父なる怒りが背景に存在していたことだ。父と母、ここに魂と肉体の調和が保たれる。
リア王には、リアの他に、嫡子の奸計におちいって荒野をさまようになった、エドガーとグロスターの親子愛も魅力的だ。彼らの言葉も凄まじいので、せっかくだから紹介したい。
エドガー
だが、あすからは、もっと惨めになるかもしれぬ、
どん底などであるものか、自分から「これがどん底だ」と言っていられる間は。
グロスター
神々のご慈悲にお縋りする、今このこの息の根をお留め下さいまし、私の内に住む悪霊にそそのかされ、お召を待たずに死を選ぶ事の二度とありませぬよう!
(中略)
エドガー
詰らぬ人間さ、運命神の飽く事無き打擲に馴れ、悲しみを知り味ったため、他人に対しても幾分思遣りが懐けるようになっただけの事。
さあ、手を、どこか休める場所に御案内しよう。
なんと魂を奮い立たせられる、エドガーの気概だ。
悲劇はいつも、不幸な最後に幕が下ろされる。しかし、多くの場合、彼らの魂は物語の中では美しく救済される。現世でどん底まで堕ちた末に、綺麗な部分を残して天に召されていく。肉体的には不幸になろうとも、最後には魂が救済され、それこそ不幸に堕ちた人間の最後の願いであり、それが成就されるところに涙が流れるのだ。
2023.12.6
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