自分の心の底にある本音を、フラットの関係の上でお互いに伝えあえるとき、人間関係は美しさを見せる。
本当は自分はこうしたい、本当は自分はこうなったらいい。
表面的に愚痴っている人も、根本にはそんな善意しかない。
これまでの自分がいかに、表面上の関係を築いてきたか、身に沁みて分かる旅だ— とむ(日本一周テント生活) (@tomtombread) May 23, 2019
よく対等な関係というと
- お互いがタメ語、どちらかが敬語になっていないかとか
- 尽くし、尽くされるパートナーシップになっていないか
のように、表面上の形でとらえられることが多いよね。
けれど対等な関係って、「え?こんなんでいいの?」って思うくらい
すごく単純で、純粋な美しさを秘めるものだってボクは思うんだ。
そんな対等な関係を誰かと築けたとき、それはきっと
- 2人の心を支え
- 2人の心を鼓舞するような
かけがえのない財産になるのだと思う。
Contents
1 対等な関係を築くのは、人は等しく弱いから
人はみな、等しく弱い。
等しく弱いからこそ、関係は対等なのだと思う
最近ボクは、人を巡る旅をはじめたんだ。
高校時代のテニス部のペアだったり、深い付き合いをしたのに疎遠になってしまった女の子だったり、辞めたあと音信不通になっていた大学のゼミの先輩だったり。
この旅をはじめたのは、「”過去に伝えられないまま置き去りになっていた想い”を改めて伝える」ことが目的なんだけれど、自分の気持ちを深く見つめていると気づいたことがあるのね。
一人でいることが、どうしようもなく寂しい。
先の見えない未来が、どうしようもなく怖い。
だから、あなたを愛し、愛されたい。
だから、あなたを抱擁し、抱擁されたい。
だから、仲良くなりたいし、一緒にいたい。
だから、ともに挑戦し、ともに泣き、ともに笑い、ともに喜びたい。
自分が伝えたかったことって、全部これだって!
その瞬間、ブワ~ッと涙がこみあげてきて、「ああ、自分は弱い人間だったんだ」ってようやく気づけたの。
それでね、
この気持ちって何もボクだけが持つ特別なものじゃなくて、
すべての人が等しく持つものだと思うんだ。
お父さんもお母さんも、これまで出会ってきた友達も、憎らしい仕事関係の人も、電車でたまたま前に居合わせたお姉さんや、
屋台でたこ焼きを焼いているおっちゃんも、全員が持つもの。
だから人は人と繋がるし、付き合うし、結婚するんだって、ようやく腑に落ちたんだ!
そう考えると、もともと人間関係なんて、対等でフラットなものだって思うの。
- 寂しい人と寂しい人が素直につながっているだけのもの
- 先の見えない未来に怖がっている人が、お互いに鼓舞しているだけのもの
- 愛し、愛されたい人が、結婚して、温かい家庭を育んでいるだけのもの
- ともに挑戦し、ともに笑いたい人が、一緒に働いているだけのもの
弱いものと弱いものが、強くなるために、等しくつながってるんだって。
人と人が対等であるのは、そうゆうこと。
2 対等な関係が築けないのは驕り(おごり)だった
対等な関係が築けないのは
「自分は強い人間だ」というおごりだ
実はボクには、人を大事にしてこなかった過去があるのね。
弱い人を見下していたし、強い人にはゴマをすって、損得勘定で人と付き合っていたこともあったんだ。
それはずっと、強い人間として生きようって思っていたから。
- 1人でも生きていけるように
- 大切な人を守れるように
- 時代に乗り遅れないように
- しっかりと食っていけるように
って。
なんだかんだ、こんな考え方でも、結果が出てしまっていたから、ボクはずっと傲慢であったんだけれど…
仕事をやめることになって、これまで積み上げてきたキャリアを失うと、「まったくの逆だったんだ!」って、ようやく気づけたの。
- 一人で生きていく力をつけることが、強い人間になることじゃなくて
- 弱い人間であることを認めて、誰かと生きていくから強くなれるんだ
って。
この瞬間に、フワ~ッと肩の荷がようやく下りたんだ。
もっと人を頼ろう。もっと人と挑もう。もっと人と笑おう。もっと人と泣こうって。
こんな当たり前のことに気づけないなんて、なんて可哀そうなヤツなんだ…とは思わないよ。
誰もが生きることに必死だからね。
けれど、もしこうして読んでくれているあなたが、人と心と心の繋がりを感じられないのなら、この言葉を受け取ってほしいんだ。
ボクはあなたと一緒に笑いたい。
何かに挑戦し、立ち向かい、壁にぶち当たり、一緒に思いっきり倒れたい。
思いっきり泣いて、思いっきり跳ね上がって喜びたい。
あなたを思い切り愛したい。
ボクはつまずくことがなかったら、ずっと一人で生きていこうとしていたと思う。
自分の弱さを知らないまま、「寂しい」という感情を必死に抑えながら、誰かを見下して生きていたと思う。
今は胸を張ってこう思えるよ!
「弱い人間」になれてよかったって!
3 対等な関係は、互いの弱さを知り、強くなれるもの
「弱い人間だ」って告白し合うから
お互いに「強い人」になれる
ずっと前に、心の拠り所(安全基地)についての記事を書いたのだけれど、対等な関係ってまさに安全基地そのものだと思うの。
「安全基地」は簡単に説明すると、「あ~自分ってここにいてもいいんだな~」って感じられるような居場所のことね。
ほら!おごりやプライドやを捨てて
- 「本当は寂しいんだ」
- 「本当は怖いんだ」
- 「本当はもっとこうしたいんだ」
っていうことを言い合えて、受け止めあえる関係になったらすごく安心だし、心強くない?
そんな安心感が持てたら、「失敗してもいいや」っていうマインドで思いっきり挑戦できるよね。
「だから、私のことを愛して!」っていうのは、また別の話ね。
これは「あなたは私のことを愛しなさい」っていう『命令』であって、決して対等な関係じゃないから。
相手への「期待」は、相手に「命令」しているのと同じなのかもね。
自分の心の底にあるピュアな善意を伝え合う。
こんな簡単なことだけで、人って頑張れちゃうのね。
4 対等な関係を築くには、まずは自分と対等であることから
誰かと対等な関係を築く前に
まずは自分と対等な関係でいること
「こんな自分は嫌だ」って自分を蔑んだり、
「自分はダメな人間だ」って落ち込んじゃうこともあるよね。
実はこれも「自分は強い人間だ」っていうおごりなのね。
自分の弱さから目を背けて、強くあろうと思えば思うほど、傲慢になっちゃう。
ボクがいま旅をしているのは、そんなおごりを捨てて、「弱い自分」として生きるためなんだ。
自分と対等になるって実はすごく簡単なこと。
- 「本当は自分はどうしたい?」
- 「本当は自分はどうしたかった?」
- 「本当はなんて言いたい?」
- 「本当はなんて言いたかった?」
こんな心の深いところにある気持ちをくみ取ってあげて、偽りなく身体で表現してあげる。
ボクはいま、誰かに媚びを売ったり、相手の機嫌を取るために思ってもいないことを言うことに、すごく抵抗感を覚えるの。
自分の心(感じたこと)と、自分の身体(口)が一致していないことが、すごく気持ち悪いんだ。
これでいいのだと思う。
自分と対等に接するから、人とも対等になれて、一緒に生きれるんだってね。
5 まとめ
今日の話をまとめると、次の3つ。
- 自分が弱い人間だって気づけたとき、人は人と繋がれるんだ。それが対等な関係
- 対等な関係は、心強いもの。安心・安全を感じられて、頑張れるものだ
- 誰かと対等な関係を築く前に、まずは自分と対等でいることから。本心をくみとってみて!
みんな、いつもいつも読んでくれて、本当にありがとう!
大好きだ!
ありがとうございます。
すごくわかりやすい文章で、自分の弱さを認めるきっかけになりました。
少しずつ真の人間関係をこらから作っていければとおもってます。
強い自分、優れた自分でなくてもいいんだと
少し楽になれました。