キャリアとかスキルとか、そういった類のものとは無関係に生きている。[936/1000]

この冬、氷餅の仕事をしている。数日かけて凍らせた餅を、木の竿に干していく仕事である。何もむずかしいことはない。誰だってできる、替えのきく肉体労働である。肉体を働かせ、対価として賃金を得ている。冬が終われば仕事はなくなる。再び、仕事を探さねばならない。無論、憂いはない。この身一つで、目の前にきた労働をこなしていくだけである。働けなくなれば、この身一つで、死んでいくだけである。

 

キャリアとかスキルとか、そういった類のものとは、無関係に生きている。厳密には、(今からではとても想像しがたいだろうが)常識的な生き方から堕落するまでは、むしろ進歩人の側にいた人間である。キャリアとかスキルとか、そういった事柄にうるさい学生だった。社会から堕落して、野良犬のような家なし生活をはじめるまでは、生命の形は、物質社会の混沌のなかで曖昧であった。

 

良くも悪くも、外に放り出されたことによって生命は固有の形を得た。進歩と科学、物質的な常識の代わりに、古典的かつ原始的で、太陽が注がれる大地に足を着けて生きることになった。

昔の私であれば、キャリアもスキルも得られない仕事なんて、不安で仕方がなかったはずだ。だが、そもそも生きる足場が変わってしまえば、そうした観念は、頭のなかに存在すらしないのである。そればかりか、苦しい労働をこなすほど、生命は輝きを増していく。キャリアやスキルに価値があるのではなく、労働そのものに価値がある。生命が燃えること、生きることそのものに価値がある。ゆえに、どんな労働も構わないのだ。目の前にきた仕事に献身的にぶつかり、金がなくなり食っていけなくなれば、死んでいくだけの人生である。それでもいいと思えるのだ。太陽が燦々と昇り、美しく沈んでいく大地の上では、命は永遠に廻る。

 

2025.1.12