小寒。ついに氷点下10度をむかえた。手が冷たくてしょうがない。幸い、ちょうど焼杉を焼いているところなので、炎に当たりながら仕事ができるのが救いである。杉を焼くのは、全行程のなかでも、一二を競うほど楽しい仕事だ。下手くそでも、焼き加減にむらがでる程度で収まるし、適当に焼いても、杉が自然にいい味を出してくれる。なにより、古来の知恵と伝統を重んじられているようで気持ちがいいのである。
この冬から世話になっている氷餅屋にも、焼杉をつかった古い蔵があるが、炭になった部分はボロボロに崩れることなく形を保っている。一般に焼杉は50年もつと言われる。黒く炭になった部分が、雨風から木を守る。自然美もさることながら、性能についても、今日のサイディングに少しも遅れを取らない。その事実に私は深く感動する。
一仕事を終え、冬のために貯蔵していた、最後のかぼちゃを食べようとしたところ、ねずみに半分かじられた状態で見つかった。かじられた箇所を包丁で切り落とし、念のため洗っておくことにした。川は凍っていたが、薄氷を叩き割って水に浸してよく洗った。家に戻る途中、薪になりそうな倒木を引きずっていく。鍋にいれるため、かぼちゃを切ろうとすると、かぼちゃの表面にも既に氷の膜ができていた。かぼちゃを浸すための水も凍ってしまったが、砕いて氷のまま鍋に入れた。薪を燃やし鍋をかけると、ようやく調理はひと段落する。
さすがに日中も氷点下となると、いつもと勝手が異なる。本来、生きていられないはずのところを、生きている感覚になる。全部、火のおかげだ。人間の、文明の、原点の力のおかげで、氷点下を生き抜いている。大きく複雑に洗練されすぎた文明も、始まりは小さな炎だ。原点に思いこがれるほど、火はいっそう美しく燃えていくようである。
2024.1.10