不安は一種の波動にちがいないが、エネルギーを力と捉えるならば、不安はエネルギーというには相応しくない。力の欠如によって生み出される感情が不安であるが、真にエネルギーなるものは、むしろ不安を乗り越えていくものである。中村天風先生は”絶対積極”を説く。不安は常に受動的な態度から生まれている。力の性質は、自分から前に前に進んで行かんとする、積極性であることをおぼえておこう。
ようやく棟が立ちあがったというのに、悲しい事実が発覚した。壁を張り付けていくと、どうも上にいくにつれ、出幅が狭くなっていく。なんとまあ、柱が前傾していたのである。本来であれば、棟上げのときに、水平器を縦に当てがって垂直を出さなければならなかったが、立ち上げることに精一杯で完全に失念していた。ようやく難所を越えられたと勢いづいていたところ、さっそく出鼻をくじかれた。これまでの苦労を思い出すほど、柱が前傾してしまったことが悔しくてならない。
機能的にはさほど影響はないと思うが、それでも一抹の不安が生じる。ちょうど心を乱し、憂鬱となり、完全に呆けていたところ、近所で世話になる爺ちゃんがやってきて、「こんなもの大丈夫」だと一蹴してくれた。ここでも、私は己の無力さを恥じることしかできなかった。力のない人間は、頭で大丈夫である論理を構築し、自分を納得させようとする。だが、力のある人間は、たった一言で感化を及ぼす。頭で考えてもクリアにならない感情を、力ある言葉によって簡単に晴らしてしまう。
これがエネルギーでなくて何であろう。人間が目指すべき道は力であるし、毎日克己に励むのはそのためであろう。こうして何度言っても、無力に敗北してしまうこともある。だが、何度でも戦っていく。そうしていつかは、あの爺ちゃんのように強くなれたら。
家づくりはまだまだ続く。
2024.12.9