どうしようもないときはエネルギーを全放出する[831/1000]

栄養価は同じ野菜でも、盗んだ野菜を罪悪感を抱きながら食べるのと、親切におすそわけしてもらった野菜を気持ちよく食べるのとでは、肉体が吸収するエネルギーにも、質的な違いが生じそうである。

高級な料理は間違いなく美味であるが、実家に帰ったときの母の手料理や、腹ぺこでかきこむ丼も、負けずと「美味い」と感じることがある。肉体に吸収されるエネルギー量が大きいほど、身体は「美味い」と感じるようにできている。

 

エネルギーは波である以上、周期があり、リズムがある。何十キロとある丸太を持ち上げて、地面を転圧するとき、十回も突けば、とても重たくて疲れてしまうが、ヨイトマケを唄いながらリズムよく突くと、三十回突いても、あまり疲れないのは不思議である。

今朝、ブロッコリーを収穫しながら、素早く収穫する方法は、リズムをつかむことだと閃いた。仕事の早い人は自分のリズムを習得している。逆にいえば、仕事に慣れるとは、自分のリズムを見つけることである。自分のリズムを見つけるまでの見習い期間は、周期が乱れる分、エネルギーを浪費して過剰に疲れる。慣れてしまえば疲れることはなくなっていく。

 

数日間の稲刈りが終わり、久しぶりにエネルギーが枯れ果てる。心が不安や焦燥、怒りや悲しみを抱えてどうしようもないときは、いったんエネルギーを全放出したほうが、かえって早く良くなるだろう。ちょうど、電子機器の調子が悪いとき、いったん放電させてしまうように。中途半端に食って、寝転んで、余力を残すほど、体内のエネルギー事情は悪くなる。当然、良いものを食って、良い言葉に触れていれば、身体は正常な周波を取り戻していく。波形がしなやかに強くなるほど、外界のストレスに対する免疫ができる。そうしたエネルギーを身体に充満させるのは、日頃の習慣の積み重ねである。

ひとまず私は、ぐっすり休む。

 

2024.9.28

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