この時代を生きる悩みをもつことの幸せ[150/1000]
普遍的な価値を追求する人間において、時代の悩みはいつの時にもあるものだと思う。 「昔は」とか「今の時代は」とか、時代への不平不満など探そうと思えばいくらでも見つかる。でもこの時代に生まれたことを宿命として受け入れなければ…
普遍的な価値を追求する人間において、時代の悩みはいつの時にもあるものだと思う。 「昔は」とか「今の時代は」とか、時代への不平不満など探そうと思えばいくらでも見つかる。でもこの時代に生まれたことを宿命として受け入れなければ…
信じるものを得れば、彷徨える魂に一筋の進むべき道が照らされるが、死まで辿り着けるかは信仰の純粋さによる。 信じる対象がなければ冒険の始まりすらない。信仰によって道が生じる。苦難に見舞われても信じ続け、突き抜けることに人間…
かさじぞうのお話が、何度も思い出される。 貧乏なおじいさんとおばあさんが、正月の餅を買うつもりで笠を作り、おじいさんは町に売りに行く。雪が降り始めたので急いでいると、道の脇に6つのお地蔵さんが佇んでおり頭に雪が積もってい…
日曜日。皆はどうやって過ごしているのだろう。日曜日の過ごし方が分からない。 日曜日は、ある人にとっては休日であり、ある人にとっては安息日である。 私はクリスチャンではないので、安息日について浅はかな理解しか…
ルソーが晩年に書いたという「孤独な散歩者の夢想」の一句を紹介したい。 僕の魂は今もって活動している。それは今もって感情と思考を生産している。そして、それの精神的内的生命は、一切の地上的現世的な利害関係の喪失によって、なお…
穏やかな太陽を全身が歓迎している。昨日の苦しみは、今日にはない。 幸せな人間とか、不幸な人間とかいう言い方は、語弊があるように思う。あたかもその人間の属性として、幸や不幸が備え付けられているような言い方だ。 …
最後に笑ったのはいつだろう。 一人の時間がつづくと、笑いのない日が淡々と過ぎていく。 魂の鍛錬といって、孤独を肯定してきたが、昨晩から今朝にかけては、どうしようもない苦しさにすべてを投げ出したくなった。 父と母の顔がみた…
若者が都会を欲するのは、命を燃焼するのに都会の刺激を必要としているからではないか。 年寄りが田舎を欲するのは、生命燃焼を大方終え、命の燃焼を急ぐ必要がなくなったからではないか。 「幸せになることは人生のゴー…
無宗教と無信仰は違う。無宗教でありながらも、自己の内に信仰の根源を持つ人間はいる。しかし、無信仰になれば天と繋がる重圧に耐えうることができず、肉体にすべてを委ねる水平的な生き方しかできなくなる。 天と繋がる厳しさの中に、…
どうして月曜日はこんなにも憂鬱になるのだろう。 「憂鬱」という言葉を使ったが、この感覚は他に的を射る言葉があるように思う。憂鬱というと、漠然としたどうしようもない不安感みたいな印象を受けるが、本当は「緊張状…