亡霊として生きるにはあまりにもこの世は暗すぎる。肉体として生きるにはあまりにもこの世は明るすぎる。[732/1000]
「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」 ヨハネによる福音書 13.36 「汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今…
「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」 ヨハネによる福音書 13.36 「汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今…
一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である。人生に対する行為の意味が、或る瞬間に対して忠実を誓い、その瞬間を立止らせることにあるとすれば、おそらく金閣はこれを知悉していて、わずかのあいだ私の疎…
父の司っている死の世界と、若者たちの生の世界とが、戦争を媒介として、結ばれつつあるのを感じていた。私はその結び目になるのだろう。私が戦士すれば、目の前のこの岐れ道のどっちを行っても、結局同じだったことが判明するだろう。 …
孤独な者よ!あなたは愛する者の道を行く。あなたはあなた自身を愛し、それゆえにあなた自身を軽蔑しなければならぬ。それは愛する者だけの知っている軽蔑だ。 … わたしの涙をたずさえて、あなたの孤独のなかに行きなさい。わが兄弟よ…
初夏だ。陽気な祭りが始まる。森に野兎が来訪し、ホトトギスが鳴いている。見て愉しみ、聴いて慰み、食って元気になる。科学と進歩の世界のなかで、居場所のない人間は百姓の魂に救われた。日本国では無価値な人間も、自然国では存在その…
たいていの人達は、晩年に及んでおのが生涯をふりかえってみた場合、自分は自分の全生涯を全くゆきあたりばったりに生きてきてしまったのだという風に感ずるようになるであろう。そうして、自分があんなにも無造作に味わいもせず通りすご…
力の信仰者が義しき怒りを重んじたことと、旧約の神が”怒りの神”であったことは偶然ではあるまい。宇宙は力によって誕生し、歴史は力に刻まれてきた。イエスが愛を説いたとき、愛を支える義しき怒りを滾らせて…
蛆どもよ!耳も眼もない哀れな兄弟分よ、 見るがよい、暢気で陽気な死人が一人、貴様らの処へいま来たぞ 放蕩の哲学者、腐敗の子、蛆どもよ、 僕の遺骸を遠慮なく探し廻ってみた上で、 教えてくれ、死んだが上にもまた…
人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はな…
旅して人の身につける知識は苦い! 単調で小さな世界は、今日も昨日も明日もまた、 僕ら自身の絵姿を見せるに過ぎず 要するに倦怠の沙漠の中の恐怖のオアシス以外でない! ボードレール「悪の華」 運命に棄てられた旅路は、砂漠に斃…