そのままでいい、そのままがいい、そのままでダメなはずがない。

岐阜県多治見市のスターバックスにいる。

仕事がなくなってから、あちこちに移動してるのだけれど、ぼくは変化がすごく苦手。

 

生活のリズムが少しでも変わると、これまで当たり前のようにできていたことが、途端にできなくなってしまうことが多々ある。

そこで初めて、自律的にしていたと思っていたことが、実は、環境の力で惰性的に行えていたことだったって気づく。

 

思えば、仕事もそうだった。

「自分は努力家だ。いつも一生懸命生きられる!」って思ってたけれど、先生を辞めて縛るものがなくなったあとは、スライムがドロッと形を崩すように、自堕落になった。

日本人は勤勉だとか、努力家だとか言うけれど、休日になるや否や途端にダラッとしてしまうのなら、それは本当の意味で自律的ではない。

 

そこには「頑張んなきゃ自分はダメだ」とか「努力しない私はダメだ」とか、そんな恐れが根底にある。

けど本当は、頑張れない自分がダメなはずがないし、努力できない自分がダメなはずがない。

頑張れない自分がいいし、努力できない自分がいい。

 

ぼくはしょっちゅう、何かに追われている感覚になるけれど、そんな時こそ「そのままでいい」って言葉を大切にしている。

「そのままでいい そのままがいい そのままでダメなはずがない」

これは、先日NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で登場した、数学教師、井本陽久さんの言葉。

 

「ありのままでいい」って言葉はよく聞くけれど、「そのままでいい」はまた違ったニュアンスなのよね。

ありのままが、「本来の自分」を意味するなら、そのままは「今ここにある自分」。

 

でね、きっと「ありのまま」は「そのまま」の先にあるのだと思う。

今ここにある、そのままの自分を感じて、そのまま表現しているうちに、気づけばありのままの自分になっているのだって。

 

ちょっと、こんがらがるけど、「ありのままでいよう、ありのままでいよう」と意気込みすぎると、「ありのままじゃない今の自分」を否定しちゃうことになる。

「ありのまま」っていうのは、あくまで理想形にすぎなくて…

 

ありのままでいれたら、それに越したことはないけれど、別にありのままでいられなくても、今ここにいる自分は、存在しているだけで価値がある。

その、ここにある自分の存在を肯定するのが「そのまま生きる」という感覚。

 

以前、友人に言われたことでハッとしたことがあって…..

「そのままはそのままだけど、練習するの?(笑)」って言われたんだよね。

 

ああ、ほんとそのとおりだ、って思った。

そのまま生きるって、難しいことでもなんでもなくて、本当にそのままでいい。

 

ぼくは毎日、何かしらの言葉を書くけれど、変に考えて迷子になりそうなときは、いつも「そのまま」に立ち返る。

そのときいつも、井本陽久さんの、「そのままでいい そのままがいい そのままでダメなはずがない」という言葉に勇気をもらっている。

 

「僕は、かなり幼いころから、お金持ちに生まれたからこそ手に入ることができるものとか、恵まれた出会いがあったからこそ得られたものとか、何かによって得られる・得られないが左右されるものには価値がないと思っていました。努力して手に入れられることができるものも同じです。努力ができる状況にある・なしに左右されるから。これは自分の根本にある感覚でした。」
「与えられた身体的条件や能力や、自分ではどうしようもできない環境によって、得られるものと得られないものがあるのは事実だと思いますが、だとしたら、そこでたまたま得られたものに本当の価値があるわけがない。真理が公平でないはずはないから」

 

「結局『何に価値を感じるか』という話です。生まれや育ちなど、本人にはどうにもならないいろんなことで『得やすい・得にくい』って差がつくようなものには価値がないと思っている自分がいます。それって、もっと大雑把に言ってしまえば、『そもそも何にも価値がないよ』って話で。『キミのこういうところはいいところだね』とか『こういうところは直したほうがいいよ』じゃなくて、その子がポッとその場にいるならばそれだけで価値だと思うんですけれど、心からそう思えているかというと必ずしもそうではない。でもそう思えるようになりたいと思える自分がいる」

著:教育ジャーナリストおおたとしまさ 「いま、ここで輝く。」

 

これは、井本陽久さんの言葉。

引き算みたいな考え方よね。

 

今、自分ができることだとか、実績だとか、地位だとか、名誉だとか、なんなら性格すらも、すべては偶然の賜物にすぎなくて、そこには価値がない。

じゃあ、本当に価値のあるものはなんだ?って、1つずつ引いていくと、最後には自分の存在しか残らない。

人の存在は、この世で唯一、公平なもので、価値のあるもの。

 

ぼくは真っ暗の森が好きで、そこで誰かとコーヒーを飲んだり、鍋を囲ったりすることがある。

どうして好きかって言うと、人の存在だけが残るから。

 

真っ暗の森で、ランタンを灯すと、見えるのはお互いの顔だけで、そこには「私」と「あなた」しかいない。

私とあなたしかいないから、過去の苦しかった話とか、未来の夢の話とか、自分の存在に関わる話が自然とはじまる。

それがすごく幸せ。

 

井本陽久さんは「結局何に価値を感じるかという話だ」と言うけれど、ぼくもこの感覚に全面同意する。

価値のないものの価値を信じれば、本当に価値のあるものが霞んでしまう。

「頑張んなきゃ自分はダメだ」とか「努力しない私はダメだ」とかいう恐れは、そんな誤解から生まれている。

結局、「幸せ」ってものもそういうなのかなと思っていて。

お金持ちになるとか、有名になるとか、そんなところに価値はなくて、いままで見えていたまったく同じものが、ある瞬間にすごく輝いてみえるようになるって体験が「幸せ」なんじゃないかな。その瞬間を「奇跡」というんだと思うんですよ。

著:教育ジャーナリストおおたとしまさ 「いま、ここで輝く。」

 

何もなくても、人は存在しているだけで、幸せになれる。

もっと言えば、人は自分の存在を確かめられたときしか、幸せになれない。

 

安心していい。

存在を確かめることに、練習は何もいらない。

 

ただ、そのままでいい。

今ここにある自分を、そのまま感じて、そのまま受け入れて、そのまま表現するだけでいい。

 

ぼくは、人の「そのまま」を大切にしたい。

地位とか、実績とかに目をくらますのではなくて、そのままの人を見たい。

本当に価値のあるものだけを見たい。

 

「そのままでいい、そのままがいい、そのままでダメなはずがない。」

旅はつづく。

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