夏に苦労した人間は、褒美として秋を堪能するがよい。[449/1000]

爽やかな秋晴れである。葉が色づくにはもう少し秋が深まる必要があるが、陽に照らされ金色を放っていた森の葉っぱたちが、哀愁の色を見せてくれるのが、今から楽しみでならない。先日、試しに薪ストーブに火をいれてみた。ホンマ製の1万円で買える小さな薪ストーブであるが、9平米の小屋を温めるには十分すぎるものであった。薪が燃えると、ほのかなスギの香りが小屋をいっぱいに満たした。燃やす木の種類によって、香りも変わるようで、それも薪ストーブの楽しみのひとつである。この森は標高1000メートルあり、夏はカラッと爽やかである代わりに、冬はマイナス10度まで下がる。昨年の冬は、いっさい暖をとることなく、両手足が霜焼けになりながら耐え忍んでいたので、余計に楽しみが倍増するものである。

 

家づくりのほうは、大工さんにもらってきた3メートルあるパレットを分解し、床材にすることにした。こんな大きいものどうやって運んだんだと、先日父に尋ねられたが、ここでは言えないような、かなり強引な手段でもってきた。板を1枚ずつパレットから引き抜いて、クギを反対側からハンマーで打ち、頭が出てきたところをクギ抜きで引っこ抜く。地道な作業であるが、完成品が素材に戻っていく光景は、みていて心地がいい。これを今から床にしきつめていく。

 

その他、新しくやったことといえば、森のかたすみの陽があたる場所に畑をつくった。四方を丸太で囲み、そこに青じそと三つ葉を植えた。森は木陰になるところが多く、畑も1日のうち数時間しか陽を浴びることができないので、植物を選ぶ必要がある。森において、日光は貴重であり、あらゆる植物が陽を求めて生存競争をしているようにみえる。森にいると私もまた、太陽が恋しくなる毎日で、いかに太陽が万物の神としてあがめられたかとしみじみ思う。太陽なしでは植物も動物も生きられず、陽を浴びなければ元気になることもできない。エネルギーの根源をたどれば、大きなところに太陽が君臨しており、こうした絶対的な存在には神の威厳を感じる。また、水もなければ植物は育たないことを思うと、自然豊かな日本に、八百万の神の信仰が広がったことがよく分かる。

 

とにかく今は、秋が深まるのが楽しみでならない。森にちらほらキノコが生え始め、腹が減ってると、つい食べてみたくなる。さすがに知らないキノコは危なくて手が出せないが、玄米と一緒に炊けば、香り豊かなキノコご飯になるだろう。カボチャやサツマイモも季節がやってきて、これも玄米と一緒に炊いて塩をふって食べるとかなりイケる。今年は焼き芋にしてもよい。

秋は一年でもっとも優雅な季節である。夏に苦労した人間は、褒美として秋を堪能するがよい。それも束の間、孤独で過酷な冬がやってくる。私もはやく家を完成させて、冬に備えなければならない。

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