教員をめざしていました、とむです。
5日間、特別養護老人ホームへ介護等体験に行ってきました。
この介護等体験は、教育実習と並んで教員免許を取得するにあたり必須のものです。
普段接することのない、80代、90代とおじいちゃんおばあちゃんと交流できたことは衝撃の連続でした。
この記事は
- 爺ちゃん婆ちゃんから得た人生の気づき
- そこから学んだ若者が老後に後悔しない生き方
についてまとめていきます。
Contents
1 介護等体験が始まった時の衝撃
失礼ながら、
最初にデイサービスの施設に足を踏み入れて感じたのは
「この人たちは何のために生きているのか?」
という人生の問いだった
初日、施設に足を踏み入れて一番に受けたのは、
- どんよりとした重苦しい空気と
- ここは「死」を待つ場所なんだ
という虚無的な感覚でした。
- 全身の筋力が衰えて一人で歩くことが出来ない人
- 発語すら出来ない人
- 頭がぼけて意識がはっきりとしていない人
- 生気を失って車イスにぐったりとしている人
目があって「こんにちは」と挨拶してみるも、ピクリとも動かない。
生気を何者かに奪われたのか、生気をすべて使い果たしてしまったのか…そんな風に感じてしまった。
ここが、最重度の方々の場所だった、ということもあるけど、それにしても重苦しいという言葉は撤回できない。
- ここでこのまま死を待つだけなのか….?
- 一体この方たちは何のために生きるのだろうか….?
- 意志とは無縁に、生かされているだけなのではないか….?
と思うと、何とも言えない虚しい気持ちになった。
2 介護等体験で「生きる希望」について考えた
僕がいちばんに学んだことは
今を受け入れないかぎり、生きる希望は得られない
ということだった
僕が関わった人達の病態は、比較的軽かった。
そこでの、じいちゃんばあちゃんと関わるうちに、高齢者には2種類の人がいることが分かった。
- 生きることに楽しみを見出している人
- 生きることに楽しみを失ってしまった人
イキイキとしている人に共通することは、生きることに楽しみがある人だ。
- 孫がいる
- 会いに来てくれる家族がいる
- 趣味がある
といったところ。
一人の、じいちゃんは、「孫によう似とるわ~。」とずっと笑いながら接してくれた。
一方で、生きることに楽しみを失ってしまった人は、全くイキイキとしていない。
- 「死にたい」というような悲観的なコトバを放ち
- 「昔はよかった」と回想ばかりしている
おそらく、「目の前にある現実」を受け入れることができなくて、楽しかった過去の思い出に浸かるしかないのだろう。
これを受けて、両者の差は何か色々考えた。
僕が出した結論は『希望』の有無だった。
ボクたちのような若い世代は、普通に生活している中で「希望」を失うことはまず無い。
できることが多いし、「死」をまだまだ遠いものだと感じるから。
けど、じいちゃん、ばあちゃんの場合は違うのかもしれない。
失っていくものが多い分、希望を持つことも難しくなるから。
- 思うように動かなくなる手足
- 衰える記憶力
- 失っていく外見の美しさ
- 孤独
こればかりは、本人しか分からない。
けど、いまこんな状態にある、身近な僕の祖父を見ててもあながち間違っていないと思う。
じいちゃん、ばあちゃんが希望を持つために必要なのは
- 「老い」を受けいれて
- 過去に執着するのをやめて
- 今に目を向ける
ことだ。
これは、じいちゃんばあちゃんだけじゃなくて、若い世代にも言える。
今の苦難を受け入れないと、前に進めない。
人生には不可逆性がある。
- 自分が歩いてきた足跡を認めることはできても
- 足跡をさかのぼって、来た道を戻ろうとすることではない
過去に戻ろうとする人は、前に進めない。
だからいつまでも、希望が見つからない。
5日間というわずかな実習期間だけど、『今この瞬間に目を向けられるきっかけを作ろう』と心に決めた。
それが、何の変哲もない一人の実習生として、僕にできることだった。
3 介護等体験で「尊厳とは何か」を考えた
デイサービスの施設に入ってから、ずっと「何のために生きてるのか?」って考えてた。
分かったことは
生きる意味なんて元からなくて、あるのは尊厳だ
ということだった
高齢の方と接すると、自分の中にあった「当たり前」がひっくり返されることがある。
例えば、「学び」について。
若い世代は、
- 生きる力を身に着けるため
- 社会貢献するため
というように、学ぶことにいくらでも意味付けできる。
けど、認知症の方の場合はどうだろう。
「学んだ」はずのことを、10秒もすれば忘れてしまうのだ。
僕は困惑した。
- タオルのたたみ方
- タオルの丸め方
を確かに理解していたはずだった。
けど、10秒後には魔法にかけられたように、跡形もなく消えてしまうのだから。
そして、忘れてしまう度に、もう一度1から教わる。
この繰り返しだ。
そんな出来事を目の当たりにして、
- この方にとって学ぶ意味はあるのか
- 一体なんのために学ぶのだろうか
と自問自答せずにはいられなかった。
実習が終わって今思うのは、学ぶ意味なんてそもそも無かったんじゃないかってこと。
あったのは尊厳だってこと。
結局、学ぶ意味なんて
- 人それぞれ違うもので
- 押し付けるものではない
この認知症の方の場合、学んだとしても、1分もたたないうちに学ぶ前の状態に戻ってしまうのだから、学びそのものに意味はない。
そこにあったのは
命ある限り何かに挑戦する意思と生命の活力そのもの
だった
それを重んじる態度こそが、彼の尊厳だとようやく腑に落ちた。
4 介護等体験から「若い世代の生き方」を考えた
ここまでを踏まえて、
「老い」を楽しめること
が幸せな生き方だと思った
「老い」は必ずやってくる。
- 肌のハリもなくなっていってシワが増えていくし
- 抜け毛も増えていく
- 加齢臭がでてくるかもしれない
- すぐに疲れるかもしれない
けどもし「老い」に悲観しそうになったら、こう思うことにしよう。
味のある人間になってるんだ!と(笑)
言葉でだますだけじゃなくて、本当にそう思えるように今を生きよう。
- 味のある人間とは何なのか?を言葉にして
- そのために今を生きる
僕も、まだ20代前半と思っていたけど、気づけば25歳になろうとしている。
三十路を意識しないわけにはいかない。
けど、悲観的になっても、楽しくはなれない。
やるべきことは、
- 味わい深く老けるために
- 今を受けいれて
- 今を大切に生きること
5 介護等体験の感想。これから行く人に伝えたいこと
「介護等体験?え?じじばばの相手するの?めんどくさ!」と思われている人もいるかもしれません。
けど、「僕は行ってよかった」って思っています。
介護等体験のカリキュラムがどんな意図で組まれているかは、正直どうでもいい。
自分で感じて、考えることが、本当の「学び」ですから。
あんまり難しく考えず、行って感じてみてください。
きっと面白い気づきがあると思います!
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