不安定な状態で生きてもいいのだ。東南アジア一周を終えて

東南アジア一周の旅が終わった。

一周といっても、旅したのは【タイ→カンボジア→ベトナム→ラオス】の4か国だけ。

本当は【ミャンマーとマレーシア】も行きたかったのだけれど、1カ月という時間の縛りの中ではかなわなかった。

 

ボクにとって1つの旅は「人生の節目」のようなもので、なにかと自分の生き方を振り返るに都合にいいタイミングになっている。

 

約1年半前にヒッチハイクで日本一周をしたときは、教育に情熱を燃やしていた時期だった。

ただ1つ、机にへばりついて教員採用試験の勉強することが本当につまらなくて、試験の1か月前に勉強をすっぽかして旅に出た。

 

今回の東南アジア一周も似たようなものなのかもしれない。

  • 2ヶ月で働くのが苦しくなって先生をやめて
  • 4ヶ月くらい半ひきこもりのニート生活をして
  • その後、車上生活をしながら、ゆったりバイトをして旅のお金をためた

 

ボクは単純に

『不安定な状態』を生きてもいいことを確かめたかった

のだと思う

 

 

1 不安定な状態を退けようとすると生きることが苦しくなる

『不安定な状態』は退けようとすればするほど苦しくなる

仕事をやめてニートになった自分がまさにそうだった。

 

「不安定」は、いろんな言葉とセットで使われる。

  • 気分が不安定
  • 収入が不安定
  • 職が不安定
  • 足場が不安定

 

一般的に、不安定な状態を好む人はあまりいない。

不安定な状態には一定の苦労がともなうし、『死』を連想させる言葉だから。

  • 収入が不安定だったら、飯を食べていけなくなるかもしれない
  • 気分が不安定であれば、人付き合いがうまくいかなくなるかもしれない
  • 職が不安定であれば、社会的に認められなくなるかもしれない

 

ボクは仕事をやめた当時、「ニート」という状態にすごく苦しんでいた。

「働くことこそ自己実現」なぞほざいていた人間が、働くことすらできなくなったのだから、劣等感に苛まれないわけにはいかない。

 

とことん堕ちた。

ずっと描いていた未来が急に描けなくなって、あれやこれやと別の道を模索しようとしても、何も見えなくなった。

「お先真っ暗」「絶望」という言葉が、ピタリと当てはまるくらい、世界が黒一色に染まったように感じた。

 

気づけばボロボロ泣いていた。

死を恐れた、力のない涙だった。

 

当時の日記には、こんな言葉が綴ってある。

「希望の有無で、人生は美しくもなるし、非情にもなる。」

 

心のどこかで死を恐れると

  • 「不安定な状態」を退けて
  • 「安定した状態」に近づこうとする

 

けれど、不安定な状態を退けようとすればするほど、生きることは確実に苦しくなる。

  • 「早く結果がほしい」
  • 「早く成果を出したい」
  • 「早く不安から抜け出したい」
  • 「早く収入を増やしたい」
  • 「早く楽になりたい」

と生き急いでも、「不安定な状態」が急に「安定した状態」に転ずることはないから。

 

2 不安定な状態そのものは苦しいものではない

旅をする中で感じたのは

不安定な状態そのものは苦しいものではない

ということ

 

幸い当時の希望を失っていたボクは、友人に救われた。

 

そしてとりあえず、ホテルの洗い場でアルバイトをはじめることにした。

ホテルまでの交通費をうかせるために、車の中で生活した。

 

仕事はすごく単調なもの。

食洗器から出てきたお皿を、タオルで拭いて、種類ごとに分ける。

あるていど積み重なったら所定の位置に戻す。この繰り返し。

 

たまにパートのおばちゃんや、派遣さんとお話するのだけれど、大半は1人で黙々とお皿をふきつづける。

 

仕事のないときは、読書をしたり、勉強したり、ブログを書いていた。

生活費をおさえるために、なるべくガスコンロで自炊をして、WiFiはコンビニのものを使った。

 

マイナス10度の中、凍えながら作った焼うどん。

火を消して、1分もすれば、冷たくなってしまう。

だから、ガスコンロの火をつけたまま、フライパンから直接食らう。

 

ガスを無駄にしないように、急いで食べていると、たまにでっかいキャベツを地面に落とす。

そのキャベツを拾い上げて、もう一度フライパンに放り込む。

健康には気をつけたかったから、野菜は常に取るように心がけていた。

 

シャワーは職場ですませて、夜は道の駅に車をとめて寝た。

フラットシート目いっぱいにひろげた寝袋にくるまって、バリバリに凍ったフロントガラスとともに朝を迎える。

 

ボクはこの不自由な生活がものすごく好きだった。

生活は明らかに不便だし、非効率なのだけれど、毎日「生きてる」ことを強く実感できたから。

 

“不安定な状態”は、「死」を強めるかもしれないのだけれど、同時に「生」も強めてくれる。

気づけば「不安定の状態も悪くない」と思うようになっていた。

生きづらくしているのは「不安定な状態」なのではなく

「不安定な状態を退けようとする姿勢」なのだと。

 

3 「不安定な状態でもいいや」と思えるか

生きることに苦しくなっているとき

「不安定な状態でもいいや」

と受け入れてしまえばいいような気がする

 

人は無意識に不安定な状態を退けようとするのだけれど、

そもそも不安定な状態だったら何がいけないのだろう。

 

考えてみると、大した理由は出てこない。

今の日本では、ちょっとやそっとのことで死ぬこともない。

 

あるとすれば、見栄

不安定な状態って、なんか惨めに見える。

 

車上生活なんてのも、傍からみたら惨めなものだったのかもしれない。

「仕事をやめた!」っていうのも、親世代の人にはすごく言いづらい。

けど、本当にそれだけ。

 

見栄のために生き急いで、自分を苦しめるよりも

不安定な状態だろうと、自分を大切にやったらいい

そのほうが、後々の人生で大きな喜びが得られるんじゃないかって思う。

 

4 どれだけ取り繕うと、人は不安定なイキモノなのだ

どれだけ安定を好もうと、人そのものは不安定なイキモノ

だとボクは思う

 

衣食住の例えが分かりやすい。

ブランド品で身をまとっても、劣等感をぬぐうことはできない。

高級食材を食べたところで、長生きできるわけじゃない。

家の中に住んでいても、地震や火事で命をなくしてしまうこともある。

 

『自分』が安定したと思うのは、錯覚だ。

その証拠に、どんな人でも傷つく。渇望は執着をうむし、嫌悪は憎しみをうむ。

 

落ち込んでいる時というのは、「自分」が不安定になっているのではない。

「自分」は、もともとが不安定なイキモノなのだ。

 

だから

  • 誰かに嫉妬してしまっても
  • 仕事がうまくいかなくても
  • 思いっきり傷ついて落ち込んでも
  • なんかやる気が起きなくても
  • 自分はダメ人間だと思ってしまっても

自分を嫌いにならなくていい。

 

そんな状態があることは、不安定な人間であれば当たり前のことだから。

 

「安定な状態でもいいやと思えばいい」と書いたけどもっと正確に言えば、

「不安定な状態が当たり前と思えばいい」だ。

 

5 「安定」か「不安定」かよりも、自分を大切にできるか

不安定を認めた不安定の状態はすごく心地がいい。

素っ裸になった爽快感のようなものではなく、名もない大地に横たわっているような静かな心地よさ

 

ラオスの首都ビエンチャンを歩きながらボクは、このまま不安定に生きることを決めた。

いや、誤解のないように言いなおすと

不安定に生きることを目的とするのではなく

『不安定な状態の今も大切にしよう』ということだ。

 

この記事にも書いたのだけれど、ボクはいま夢もビジョンも、働くことも「おまけ」だと思っている。

今の「自分」を大切にしながら生きられたらそれで十分じゃないかって。

 

っていうと、「働かないと生きていけないじゃん」とツッコミがきそうだけれど、

ここで伝えたいことは

  • 「働かなくてもいい」じゃなくて
  • 「自分を大切に生きてもいい」ということ

 

ボク自身は個人主義者で、自分の幸せを第一に考えている。

 

けれど、これは「自分さえ良ければいい」っていう利己主義とは違って、

自分を幸せにしようと思ったら、自分の身近な人も幸せにする必要がある。

 

自分が辛いときに寄り添ってくれた友人、家族、お世話になった仕事関係の人、先輩、こうしてブログを読んでくれている人、

大切な人が悲しんでいたら、自分も悲しくなる。

 

自分を大切にしようと思ったら、身近な人も大切にしないといけない。

誰かに影響され、誰かにプラスの影響を与えていく中で、自分の価値は形になっていく気がする。

 

その結果は急がなくてもいい。

周りがすでに「成功」していようと、自分は自分を大切にしつづければいい。

自分を大切にしていたら、自然と形になっていく。

 

ボクはそう信じて、”不安定な状態”を楽しみながら生きることにする。

 

6 不安定な状態で生きても大丈夫だ

『不安定な状態で生きても大丈夫』

旅を終えた今そう思う。

 

日本で幸せを感じにくくなっているのは、生活水準があがりすぎて、不安定なものを受け入れきれなくなっているからなのではないだろうか。

つまり、”安定した状態”がデフォルト化して、”不安定な状態”が受け入れられなくなっているから。

 

けれど、不安定の中にも歓びはしっかりと存在する。

ベトナムからラオスへの国境を越えた後、バスが故障した。

ただでさえ、4時間も時間がおしてるのに、現地通貨がなくて、水も飯も買えない。

ふざけんなと思った。

 

空腹で飢えていたとき、ベトナム人の女性が、ベトナムの米料理と水を分けてくれた。

得体の知れないその食べ物を、勇気をふりしぼって口に放り込んだ。

 

正直、癖があっておいしくはない。

けれどなぜか、すごくうまかった。

 

いつバスが動くか分からない状況で、

彼女は自分の食べ物を惜しみなく分け与えた。

 

彼女は、不安定を退けようとはしていなかった。

不安定をうけいれ、不安定の中に生きていた。

 

 

料理に入った髪の毛一本でぶちぎれなくても、

電車が5分・10分遅れてるだけで貧乏ゆすりしなくても、

コーヒーを服にこぼしたくらいで、ヒステリックにならなくてもいい。

 

不安定な状態を退けようとするんじゃなくて

不安定な状態を共感して、楽しんで、ハッハッハと笑いあう

 

そんな心にゆとりのある世の中になったらいいと思うのよ。

 

そんな感じ!

不安定な状態も含めて「自分」を大切に生きること。

これが、ボクにとっての『旅する生き方』なのかなと思う。

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