私たちが傷つくときの大半は、「傷ついている自分」に傷ついているのだと思う。傷を悪だと捉えれば、自己否定が生まれる。
傷つくことで私たちは学んでいるのだから、堂々と傷ついて思いっきり泣けばいい。
傷跡は真正面から生きた証となるのだから。 https://t.co/quBA4DCahA pic.twitter.com/RrSAm6bLvO— とむ(テント生活中) (@tomtombread) August 15, 2019
先日こんな記事を書いた。
私たちが傷つく大半は、傷そのものではなく「傷ついている自分」に傷ついているのだ、と。
これは「悩む」ことに関しても同じことが言えると思う。
私たちは、しばしば悩みを「悪」だと捉える。
けれど、これは大きな間違いだ。
人間は、悩んだ分だけ、深く、強くなれる。
悩みがあるから、より面白く、ドラマティックな人生になるのだ。
ちょっと想像してみてほしい。
「悩みのない世界」があるとしたら、それはどんな世界なのだろう。
- 生きとし生けるものが手をとりあって、笑い合っている世界?
- 戦争のような血の争いのない、平和な世界?
- 世界中の人が、座禅を通じて、悟りをひらいた世界?
「こんな世界があれば、平和だな~」と思う一方で、私はどこか物足りなさも感じてしまう。
「単調な世界だ……」「ドラマのない人生だ……」こんな風に思ってしまう。
「悩み」のない世界を想像してみると、初めて気づくことがある。
悩むことが、どれだけ私たちの人生を面白くしてくれているか。
それに気づいたとき、悩むことの価値は180度変わる。
ただ苦しいだけの害悪なものではなく、苦しみの中にも歓びが隠れてるものだと、希望を持てる。
くよくよ悩んでもいいじゃないか。
「自信をもって悩め」なんて言い方は変かもしれないけれど、もっと堂々と悩めばいい。
そんなことをここではお伝えしたい。
1 くよくよ悩んでもいい。自信を持って悩めばいい。
悩みは人生をドラマティックに演出する。
悩みがあるからこそ、私たちは感動できる。
最近私は、暇を見つけては、アマゾンプライムで映画を観る。
あることに気づく。
- 1つの例外もなく、感動に涙する映画には必ず「悩み」が登場する。
夢破れること、大切な人と死別すること、病を患うこと、薬中毒になること、いじめられること、うまくいかないこと…..
そんな悩みに、もがき苦しみ、葛藤し、それでも力強く前に進もうとする生き様に、観る人は感動をする。
Queenの成功物語を描いた「ボヘミアン・ラプソディー」は少し前に話題になった。
Queenのリーダーのフレディには数多の悩みがあった。
- 性的マイノリティ
- バンド内での争い&解散
- 孤独&過労&薬漬け
- マネージャーの裏切り
彼は葛藤し、どん底に落ち、苦しむ。けれども、そんな経験を経て、
- 自分にとって本当に大事な人は誰か
- 自分にとって本当に大切なことは何か
を学んでいく。
この映画のラストは、20世紀最大のコンサートイベント、”LIVE aid”での名誉ある演奏で飾られる。
私たちが映画に惹き込まれるのは、彼らが辿ってきた「苦しみ」を知っているからだ。
苦しみの末につかんだ誇りだからこそ、歓びに涙できる。
何の試練もない平らな生き様に、私たちは感動をおぼえない。
これは、私たちの人生も同じだ。
日々の苦しみがあるから、幸せな瞬間を噛みしめることができるし、
辛いことがあったから、達成したときに嬉し涙がこぼれ落ちる。
自分がまるで映画の中にいるように、俯瞰してみてほしい。
5年後、10年後、20年後、30年後、そして死ぬとき。
長い目でみると、悩みが人生をドラマティックに彩ってくれるのが分かる。
今の苦しみは、”いっとき”のこと。
死ぬときには、「あのときあんなことがあったな」って笑い飛ばせてる。
私たちは自分の人生の主人公だ。
くよくよ悩んでもいい。
ただ、悩むことに悩むのは、悩むことが悪いと思っているからだろう。
悩みは悪ではない。悩みがあるから、人生はドラマティックに彩られていく。
自信を持って堂々と悩めばいいのだ。一寸先は光だと信じて。
2 くよくよ悩むときの葛藤が人を強くする
葛藤しているとき、人は生命の力強さを纏う。
それこそが「生きる」ことなのではないだろうか。
私は葛藤している人間が好きだ。
厳密にいえば、葛藤しながらも、前に進もうとする力強い目に心を揺さぶられる。
これこそが、人間として生きる醍醐味だとさえ思う。
先日私のもとに、20代の男性からメッセージが届いた。
紹介してもいいかと聞いたら、「喜んで!」と言ってくれたので、彼のことを書かせてもらいたい。
彼はいま、大学を中退し、フリーターとして働いている。
20年間他人軸で生きてきた、と彼は言う。
バイト先の人に「君は他人軸で生きてるね。」と言われたことをきっかけに、自分と向き合うことを始め、このブログを見つけてくれたらしい。
イライラしたことや、傷ついたこと、日々起きた出来事を、日記に綴っては、自分の心と向き合う。
そんな自己対峙を通して、彼は建築に関心を見出すようになった。
私にメッセージを送ってくれたのは、葛藤しているからだった。
「大学で建築を学んだら楽しそう….けれども20歳で中退でお金がないから行くにしても2年かかる。夜間で働きながらだと、やっていけるか分からない。」
そんな人生の分岐にいる彼のメッセージを読んだとき、心が熱くなった。
信念を愚直に貫こうとされる力強さを見て、嬉しくなった。
自分を生きようとするとき、「現実」という壁が必ず目の前に立ちはだかる。
この「現実」と「理想」とに、ひずみがあるから人は悩む。
「葛藤することが、人間として生きる醍醐味だとさえ思う」と言ったのは、人間には信念を貫く底力を生まれ持っているからだ。
ワクワク感やドキドキ感を探求し、自分がカッコイイ!と思えたり、最高だ!と心躍る生き方を追求することが私たちにはできる。
結果的に「理想」を形にできなかったとしても、そんなことはどっちでもいいのかもしれない。
「やることはやった。」「私は生きた。」と、自分を誇りに思えることのほうが、ずっと大事ではないだろうか。
先入観や損得勘定にドラマはない。
ただし、心の歓びや、後味がいいと感じる道にドラマは眠っている。
楽な道を選ぶのではなく、後悔しない道を選ぶことを心がければ、人生は喜劇になっていくのだ。
3 くよくよ悩む我々は、最後にはすべてうまくいく。
悩んでいるとき、人生を悲劇だと捉えれば、悲しくなって絶望する。
悩んでいるとき、人生を喜劇だと捉えれば、楽観的になれて希望を持てる。
先ほど、私たちは自分が映画の中にいるようなものだ、と言った。
それを聞いて「私の映画は喜劇じゃなくて、悲劇なの」なんて思った方も、もしかしたらいるかもしれない。
結論から言えば、私たちの人生は、喜劇にも悲劇にもなる。
自分の人生を悲劇だと思えば悲劇になるし、喜劇だと思えば喜劇になる。
「じゃあ、簡単だ。私の人生は喜劇だ。最後はきっとうまくいく!」
………..と思えればいいのだけれど、そうも一筋縄にいかないのが人間である。
悩みの渦中にいるときは、どうしても悲観的に、視野がせまくなる。
嫌なことしか目に入ってこないから、人生を歪んだ形で捉えてしまう。
そんなときは、客観的な事実を書き出してみることだ。
「身の回りには不幸しかない」と思っていても、身の回りには気づけないだけで、「嬉しいこと」「幸せなこと」がたくさん起こっている。
そんな認知の歪みを正し、現実を正しくとらえ直したとき、世界はまったく違った形で見える。
以下、簡単なワークを紹介。
- 「自分の人生には良いことが起こらない(悲劇になる)」という客観的な根拠を書き出す
- 「自分の人生には良いことが起こる(喜劇だ)」という客観的な根拠を書き出す
- 1と2を踏まえて、自分の人生の新しい捉え方を書き出す
※客観的な根拠は、”誰が見ても”そうだと言えるもの。
認知の歪み、捉え方の矯正に関しては、こちらの記事にまとめてある。
深く理解したい方は、上記の記事に一度目を通してほしい。
4 くよくよ悩むことも人生を彩る
世間には、悩む人間に対して、冷笑的な者もいる。
「悩んでいるあなたは、弱い人間だ」というように。
百億歩譲って、それが正しかったとしても、「だからなんだ」と思う。
今が弱くても、強くなればいい。
他人の葛藤を嘲るより、自分の人生に真剣に向き合っている人のほうが何億倍もカッコイイじゃないか。
私自身も、過去に数多の悩みを抱えてきた。これからもたくさん悩みを抱えると思う。
ただそれが生きることなのだろう。愚直に生きれば、現実と理想がすれ違う。
ただ、それでいいのだ。
悩み、苦しみ、葛藤する時間は、未来を明るく彩ってくれる。
「過去」を振り返ってみれば、「今」がそれを証明してくれている。
死ぬとき、どうなっているかは分からないにしろ、私たちは信じることができる。
己の生が、喜劇なのか、悲劇なのか。
どちらにしろ、ただ1つ言えることは、力強く、誠実に、正直に、泥臭く、生きようじゃないか。
自分の命に眠ってる底力を、内に燃やしながら、愚直に…愚直に….
そうすればきっと、死に際に言葉にならないほどの誇りを持って死ねる。
We are always fine.
We are always gonna be OK.
See you next time.
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