愛国心と人類愛[417/1000]

未来に対する幻影、くりかえしや再生に対する幻影を完全に打ち砕かれて、人間が自分の存在の、芸術作品のような一回性に自足すること。そのとき人間どもは、憧憬や渇望を離れ、美しい終曲となり、つまり、今よりはよほど我慢できる存在になることだろう。

三島由紀夫「美しい星」

 

情けないことであるが、私には子孫を残したいという気をもちあわせていないようである。これは、人類としての自覚、日本人としての自覚が欠如している証であるように思う。人類から孤立し、日本人からも孤立し、国籍を失い、カミュの言葉を借りれば”異邦人”となった私は、宇宙に漂う一回性の生命として、このまま死に向かうことしか考えられなくなっているのである。

もちろん、金の問題もある。昨今、日本の出生率が減ることの理由として、金の不安はよく耳にする。しかし、これは物質の話である以上、程度の低い二の次話であって、日本に対する愛や、人類に対する愛が失われたことが問題の本質である。

ひと昔前は、今よりもずっと貧しかったのに、7人兄弟などは当たり前であったと聞くし、10人兄弟もあったという。金がなかろうと、貧しかろうと、そこに日本人としての自覚や人類としての自覚がそなわっていれば、苦労は多かれど、何とか仕合せに生きていけたのだと思う。金がないとか、国が信じられず将来が不安だとか言うのは、すべて程度の低い言い訳なのであって、子を産むという神秘が狡猾な計算の上におこなわれるのは、時代が水平化し、国からも人類からも切り離されたからだと思うのである。

冒頭で書いた「美しい星」の引用文は、作中で人類の滅亡を企てる男の言葉である。女性が不妊となって生殖の環が断たれた人類は100年以内に滅亡すると男はいう。人類の滅亡ときけば、きまって陰謀のように扱われる昨今であるが、私は、自分自身が子を残そうと思えなくなっている状況をかんがみても、人類が滅亡にむかう足音が体感値として聞こえてしまう。なにも子が減って人類が0になるということではない。これは、日本人としての自覚、人類としての自覚、すなわち魂の話である。自分中心主義と中身のないすっからかんな幸福がもてはやされ、魂が失われるほど人間は滅亡に向かう。

私は典型的な現代人である。子を残す気がないと自覚したときは、あまりにも情けなく思ったが、裏を返せば、まだ個人レベルでは希望を捨てていない。水平化する時代のなか、魂を何とか掴み人間として生きる道を何とか模索したいと願う。

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