私は、もう冬の寒さがほしくてたまらなくなっている。「おお、冬の寒さで私がふたたびパチンと音を立ててギシギシ軋むくらいがいいのに」と、私はため息をついた。―すると、氷混じりの霧が私の内から立ち昇ってきた。
「ツァラトゥストラはこう言った」
氷点下7度となったようだが、ちっとも寒いと感じない。生きるか死ぬかの戦いだったはずが、生活があるだけで人はこうも温まるのものか。毎日、せっせと身体を動かし、家をつくっている。鋸をひけば身体が熱くなる。梯子を登ったり下りたりしていると、血流がよくなり、手足の冷えまで和らいでいく。
生活者を定義するものがあるとすれば、その一つは体温にちがいない。怠け癖を追い払い、真面目に働く人間には熱気がある。われわれの存在本質が火であり、火は熱によって維持される現象である以上、熱を汲む人間に心は惹かれるようにできている。愛の深い人間がそれだけで一目置かれるのは、太陽のような温もりがあるからである。己の内の炎が燃えつづけるため、おれたちは日々薪をくべ、人様の火が弱まっているときは、そっと火を分けてやるのだ。そして、神や魂のような存在こそが聖火である。われわれの炎の源流も聖火であるし、頼れる者のいない孤独な人間は、聖火から力を授かるのである。
寒くなるほど生活の火は大きくなる。だから冬の寒さは偉大である。私は冬を心の底から愛する。寒さのあまり、凍え死ぬことは怖ろしいが、永遠の炎は大きくなるばかりだ。
2024.12.17