秋のいい風が吹いている。稲穂の上を駆け抜けて、土の香りをすくいあげて、無力に怯える凡庸な魂に、平穏な一日を演出してくれる。足の怪我のために、畑で働くこともできず、家づくりを進めることもできない。死に場所を失えば、生の倦怠が重くのしかかる。均衡は崩れ、身体は重く、魂は委縮する。
せっかくの秋晴れに本を読んでいるのも勿体なく感じてしまい、かといって先生の言いつけを破って、動いて悪くしても立つ瀬がないので、木陰と日向の間くらいに椅子を置き、てきとうな陽を浴びながら、気ままな風を感じながら、何もせず自然を堪能しているわけである。
この季節、人の心は移ろいやすいようで、普段はめったに人が来ることはないというのに、森に遊びにきたいという便りが、いくつか届くようになった。春に始めて、夏に盛り、ようやくひと段落するのが秋なのだろう。私としても森に客人を迎えられるのは嬉しい。ちょうど一年前に、青森から友を迎えたのが最後で、そのときは、ほうとうを作ったり、焼き芋をやったりした。どうせなら、新しい小屋を見てもらい、楽しんでもらいたいところだが、そうなると、早く小屋づくりをせねばと気持ちが急く一方、傷の癒える速さは変わらないのだから、ますますもどかしい気持ちになる。
木を伐採し、抜根し、地面を整地して、転圧して、基礎を埋めて、土台を組み、柱を立て…と、先を考えると果てしなく、ならばもういっそ、彼らに手伝ってもらおうかと、潔く諦めかけている。我を捨てて、成り行きに身を任せようと思えると、なんだか心持ちも穏やかになる。死に場をうしなった身というなら、秋の風が吹くままに、自然の成り行きに委ねていればいいのだろう。
2024.9.11
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