世界は自分が思っている以上に優しいことを知らなきゃだめだ。[769/1000]

個人農家さんで仕事をしている。毎日のようにキャベツをいただくので、最近の献立は、もっぱら玄米と塩茹キャベツである。オリーブオイルやごま油をたらすと、香ばしい玄米によく合う。庭先で育てたニラが育つと、そいつも刈り取って食べる。ニラは株を残すように刈り取れば無限に生えてくるので、ますますスーパーに行く機会がなくなった。

今朝、定時より40分早く仕事が終わった。自給制だと言うのに、40分を差し引くことなく帰すという。タイムカード制で1分単位で計算されていた企業社会とは別世界である。

 

森の家のすぐ傍に、木こりのお爺さんがよくやってくる。先日、お爺さんの軽トラがぬかるみにはまってしまったので、タイヤにあてがう板とシャベルを持って助っ人に参じた。小一時間ほど粘り、なんとか脱出を果たすと、手伝ったお礼にと食事に呼ばれ、すき焼きをご馳走になった。お爺さんは医者だった。医者をしながら、森を開拓し、家を設計し、庭園を整え、コケを培養していた。高級車を乗り回すでもなく、金に頼って業者に任せるでもなく、華美な服に身を纏うでもなく、優しい笑顔をした。

米ぬかをためておくためのペール缶がほしくて、車屋を5件まわった。どこの人も親身に探してくれる。5件目の車屋でようやくペール缶を入手した。礼に何かを渡すのも行き過ぎな感じがしたので、丁重に言葉を尽くした。

 

レイヤーを越えれば、まったく別の世界が広がっている。誹謗中傷や争いが絶えないレイヤーに浸っていると、世界が冷たいものに思えてならなくなる。勝手に絶望し、勝手に心を閉ざし、勝手に偏屈に、卑小になっていく。

偶然にも、私は「村」の扉を開け、立てつづけに「村」を体験した。村は恩と貸し借りで人が繋がっている。私はますます猟師になろうと思った。金のない私には、せいぜい身体を張って山を歩き、鹿や猪の肉を分け歩くることくらいしか、返せそうなものがない。

 

義とはまた別の話。だが、勝手に絶望し、勝手に心を閉ざそうものなら、世界は自分が思っている以上に、優しいことを知らなきゃだめだ。

 

2024.7.27

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