すべての日々が聖なるものとなるために[748/1000]

「すべての日々が、わたしにとって、聖なるものとならねばならぬ」と、かつてわたしの青春の知恵は言った。まことに、それはよろこばしい知恵の言葉であった!

ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」

仕事をさがしはじめた。今日、働かなくとも生きてゆける方法はあるが、生を直立させようと思うなら、仕事は避けて通ることができない。畑に赴くと、新鮮な野菜を貰った。色鮮やかなとうもろこしに、瑞々しいブロッコリー、それから香ばしい玉ねぎ。貰った野菜を、風とおしのよい森に干していると、己の生活がいかに貧相なものであったかを思い知った。この数ヵ月、玄米と木の子の他に、まともなものを何も口にしていない。質素や清貧といった日本人古来の美徳は、純粋と力が生活に美しく開花したものであって、断じて、堕落と貧しさから産み落とされるものではない。別に聖人君子になるつもりはないが、美徳は日本人の生活から花開いた聖性の一つである。すべての日々が、聖なるものとなるために、俺たちは力を欲するのだ。

 

2024.7.6

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