良く、都会の人は冷たくて田舎の人は温かいと言います。
けどこれって本当なのでしょうか?
日本全国を旅する中で見えた、そのカラクリを紹介します。
Contents
1 都会の人が冷たいというのは本当なの?
田舎で育った僕は、都会の人は異世界の人のように感じてました。
けど、蓋を開けてみると、『人そのもの』の本質はぶっちゃけ変わらないなと思いました。
当たり前ですけど(笑)
では、なぜ「都会の人は冷たい」というテーゼが、世間に浸透してしまったのか?
仮説を3つ立ててみました。
【仮説①】
人の絶対数が増えるから1人当たりの価値が相対的に低くなる
絶対数によって、1つ当たりの重みは変わってきます。
例えば、人が一人もいないような、壮大なサバンナにいるとして、野生動物の観察をしていたとします。
そんな動物しかいないような場所に、偶然人が現れたらその人は突如と、“軌跡の出会い”的な位置づけになり、“運命の人”的なものになります。
日本人が全くいないような、外国の僻地で、偶然日本人と遭遇したら、これまた、奇跡の出会いになり、お互いに厚遇のスタンスをとるでしょう。
一方で、渋谷のスクランブル交差点で、仮に同じ人がいたとしても、その人はモブ化してしまいますよね。全体の中の一部です。
ドラクエで言う村人A、通行人Aと化してしまうのです。もうあなたの人生劇場の中の主要な登場人物として見れなくなっています。
だから、悪い言い方をすると、大都市や中核都市では、1人なんて小さな存在に見えてしまうのです。
肩がぶつかったとしても、「ま、いっか」ってなりやすい。
これが冷たく見えてしまう原因です。
【仮説②】
人が多い環境ほど、人目を気にして虚勢が生まれる
これは、日本人の自己肯定感の希薄さからくる問題。
東京人口の大半は地方からの移住者で占められているが、都会で舐められないようにしないと!と変に意識すればするほど、肩に力が入って虚勢を張って虚勢を張ってしまうということ。
そして厄介なのは、虚勢を張る周りに対して、虚勢を張るっていう負の連鎖が都会では特に起きやすいということ。
これが、都会の人が冷たく見えてしまう2つ目の仮説。
【仮説③】地方住みの人の僻み?
ここまで、「都会は冷たい」が浸透した背景には、田舎生まれ田舎育ちの人の僻みがあるのかもしれない。
僕も田舎生まれ、田舎育ちだけど、やっぱり学校の中とかでも、テレビの向こう側の世界ってすごく憧れるんですよね。
そんな憧れが、嫉妬に変わってしまって、都会=冷たい、田舎=温かいと合理化しようとしているんじゃないかというものです。
【仮説④】
田舎の、のほほんとした感じとのギャップ
4つ目は単純に、先入観で人々が語ってる場合。
田舎を想像してみると、
こんな感じに”のほほ~ん”としてるじゃないですか。
いかにも、おばあちゃんが畑にあるナスをもぎ取って、渡してくれそうな。
一方都会って、
なんか超絶クールじゃないですか。
ここに住んでいる人達も、洗練されまくって、クールに振る舞っていそうな。
そんでもって、なんか素っ気なさそう。
2 都会の人の性格は肌で感じるのみ
僕個人の意見としては、
- 田舎も都会も『人そのもの』の本質はぶっちゃけ変わらない
- 田舎と都会、どちらにも冷たい人、温かい人が共存する
- 都会の人は環境的な要因によって冷たく見える
- 田舎の人も同様に環境的要因によって温かく見える
というわけで、これはあくまで僕個人の見解ですけど、実際に全国を歩いて、自分の肌で感じることの方が正確だと思います。
是非、この記事も1つの仮説として、土地の違いを楽しんでください。
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