幸せだとか不幸だとかそんなこと以前に、命はもっとえぐられたい

諏訪湖の畔で朝を迎え、その足で近くのスタバにきた。

身体の深い部分をえぐられる感覚、力強い拳で心臓の奥を握られる感覚、これがある。ずっとある。命をかけて真剣に生きている人を見ていると、身体の深い部分をえぐられる。そして、今一度自分に問う。俺が命をかけてやりたいことは何なのだ、と。自分の心の深い部分をえぐれるような、熱くなれるそれは一体なんなのだと。

正直、今はこれといったものが何も思いつかない。色んな事が分からなくなった。地球上のありとあらゆる山を制覇することなのか、山を買って自分で家を建てることなのか、お金を稼ぐことなのか、どれもやってみたら楽しいことだろうなとは思う。いわゆる立派なことなのかもしれない。しかし、本当にそれが命を燃やしたいことなのかと問われれば、しっくりこないものがある。

癒しや居心地のいい空間に甘んじることに答えはないと直感は言っている。命をえぐられている状態で、笑っていられる余裕なんてあるのだろうか。そんなわけない。でも命をえぐられているときに笑ってやりたいとは思う。そんなときは苦しいかもしれないけれど、命は最高に輝いていると思う。

幸せになれと思う。しかし一方で、幸せになるなとも思う自分がいる。きっと、幸せになってしまえばいいのだと思う。しかし、傷つくことを恐れず、もっと闘ってみろよとずっと魂は叫んでる。なぜならえぐられている感覚を抱いているときが生を最も実感する瞬間だから。幸せだとか、不幸だとかそんなこと以前に、ただ命はもっとえぐってくれと叫んでいる。どうすれば幸せだとか、どうすれば不幸だとか、俺は考えすぎていたのかもしれない。そんなことを思う以前に、どうしたらもっとゾクゾク生きらえるか考えたい。守りに入るには、まだ早すぎる。

ああ、また振り出しに戻ってしまった。今はただこのえぐられた心を感じるまま、そのやり場に困ってる。山林を探そうと検索すると、300万円強で軽井沢に良さそうな山林を見つけた。お金は足りない。しかし軽井沢の気候は好きだ。そして、沢もあるので水の心配もしなくていい。これは良いと思い、とりあえず行くことにした。何が何だか分からないのだから、少しでも心が揺れる方向へ、動く。もう俺は動くしかない。何が何だか分からないのなら、感情を抱えてしまった以上、動くことでしか、もうこのえぐられた心を救ってやる方法はない。

動こう。考えすぎず。ぞくぞくにしたがって。

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