ただ無気力に休んでいたい気持ちは甘えでしょうか?[59/1000]

相変わらず、ブログ執筆の修羅場にいる。

これまでにも、今日何を書いたらいいのか分からないというときは、たくさんあった。でも書きたいという気持ちはいつもあったから、気づいたらブログを書けあげることができていた。

 

今は書きたいという気持ちがまったくない。何なら書きたくないとさえ思ってる。だからやばいと直感的に感じている。

 

 

私には、生産的な活動のすべてを放棄して、自暴自棄になりたいみたいな気持ちが、周期的に訪れる。今、その周期が再びきた。

 

ブログも、旅もやめて家に閉じこもり、不健康なものを大量に食べ、1日だらだらとゲームだけをして、何の挑戦もなく、ただ何も残らない無気力で意味のない時間を過ごしたい。

 

言い換えれば、今日を生きるのをやめて、死にたい。

そんな気持ちに苛まれてる。

 

この周期は、体が猛烈に疲れて、孤独に殺されてしまったときに訪れる。

 

これは「休みたい」という気持ちではあるけど「元気になりたい」という気持ちとは違う。どちらかといえば、元気にはなりたくないと感じている。元気になってしまえば、休むことができなくかるからだ。

 

「元気にならないまま、ただ休み続けていたい」無気力なときは、そんな無期限休暇を欲する。

 

前々回は、2年前の身体を張ったオーストラリア横断の後。前回は、1年前の西日本軽バン旅の後。

そして今回は、悪い風邪を拾ってしまい、慣れない人の家で1週間滞在することになり、1人になれない時間と、自然のない時間、そして熱で身体を思うように動かせない苦しい時間のトリプルパンチも加わって、気づかないところで心がすっかり消耗していた。

 

 

「元気にならないまま、ただ休み続けていたい」という気持ちを持つ私は、甘いのでしょうか。

 

「甘い。私は同じ状況でも、仕事に行く」という方は、すごくたくましいですね。

 

私は今、父性的な部分では甘いと感じながらも、母性的な部分では甘くていいと感じています。

結果、母性的な甘さを受け取ります。だから、もう何年も社会人として働けていないのでしょう。

 

でもこの甘さを受け入れているから、何回引きこもろうとも、自分を恥じることなく、前に進む道を選んでいけてる気もする。

 

何回引きこもろうと、何回ダメになろうと、それでも元気に生きている人間がいたら、きっと救われる方もいると思うので、私は無気力に欲する甘さも良しとして生きていく。

 

とりあえず私含め無気力ピープルは、ちゃんと湯船に浸かって、ちゃんと寝ることができてないと思うので、まずはそこから。

 

それでも引きこもりたい人は、引きこもっていいと思うけど、外に出たくなったら、いつでも外に出られることを覚えておくこと。

 

では今日はこの辺りで!

see you tomorrow!

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