男を真に男にするのは、女であろうか。
ある人は、いい男によっていい女となり、いい女によっていい男になるといった。よく、恋をする女性は綺麗になるといわれるのは、その典型であろうか。男にしても、情けなく恥をかくような振る舞いをしていられないと己を奮い立たせるのは、その対となる女の存在があるからであろう。
恋は宇宙のエネルギーであるゆえに、肉体を超越し、自分以上のもののために生きるものである。自分のために生きるものは、すべて欲望にすぎず、自分を超えることはできない。
日本に生まれてよかったと思うのは、武士道をはじめとし、日本人の魂の根底には恋があることである。武士は主に恋をし、臣民は天皇に恋をした。恋(エロース)と愛(アガペー)は別々のものではなく、日本刀のごとく一直線にあったのである。
恋は必ずしも、男女の恋愛にかぎったものではなく、夢も恋であり、故郷を想う心も、親を慕う心も、恋であると理解する。昨年の極寒の冬、諏訪湖のほとりから孤独に眺めた夕陽の、その幻想的な美しさのなかで、私は恋というものの本質を掴んだ体験をした。夕陽の向こう側の宇宙の彼方まで真っすぐ放射する、もっとも清純なエネルギーを恋だと感じたのだ。
私は恋の力によって己を超えていきたいと願う。そして、葉隠の言葉のとおり、”恋の至極は忍ぶ恋”である。今日という日を、恋の力を内に秘めながなら生きたいと願うのだ。
冒頭に戻る。いい男はいい女によってうまれるというのは、日々、恋を忍びつづけることなど、いい女でないとできないことだからであろう。その女というものも、恋のエネルギーをつかんだゆえに、いい女となったにちがいない。そうして、恋のエネルギーも元をたどっていけば、親や先祖を慕う心であったり、天皇や国を想う心であったり、そしてついには太陽や海、天や神や宇宙を起源とするのだと信じている。もっとも身近にある男女の恋も、もっとも純粋な根源は、強烈な信仰によるものであると感じるのである。
人生から恋が失われれば、生活はたちまち欲望に支配され、美は失われていく。毎日、毎日、恋を秘めて生きることだけが、男を男に、女を女にするのだ。毎日太陽の光を浴びるように、月の光も浴び続けるのだ。忍んで忍んで忍んで、死ぬまで打ち明けない。その秘められた力を原動力にして、さあ自己を超えていきたい。
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