青年は自分探しに明け暮れているのではない。死に場所を求めているのだ。[984/1000]

物質社会を悪者にして、自分の弱さを棚にあげたくはないが、肉体を肥やすだけで何の矜持も持ち得ない仕事に、この身は死することができぬのだ。金のために魂を悶絶させることを強く拒絶するのだ。

そんなつまらぬ意地を張っているから、いつまでも仕事が見つからぬ。死に場所を求めて、夏は百姓のもとで働きはじめた。朝は新聞配達をはじめた。素朴なぎりぎりのところであるが、死に場所とはなりえない。

 

今でこそ言えるだが、迷える青年は自分探しに明け暮れているのではない。死に場所を求めているのである。本心はどんな仕事でも構わぬのである。この人の為なら死んでもいい、この会社の為なら死んでもいい、さらには国の為なら死んでもいいと思える場所を、人間として生まれ持った矜持が求めてつづけているのである。それを魂と言うのである。

仕事とは本来そういうものだろう。従業員の権利思想と物質社会によって分からなくなっているが、義を貫く人間が救済される文化の中核だろう。ほんとうは金などどうでもいいのだ。この人の為に我が身を死なせてもいいと思えることが、金などとは比べものにならぬほど仕合せなことなのだ。

子どもの頃、違和感をおぼえなかっただろうか。ホワイト企業だとか年収がいくらだとか、そんな下らぬことがあたかも最重要事項であるかのように、メディアは延々と語っていた。魂の問題は誰も扱うことはしなかった。すべてが逆転するというのに。魂は安っぽいものではない。賃金が安くとも、過酷な労働であろうとも、会社の為、国の為に心の底から尽くせることは生命の涙そのものなのである。

 

それを欲する人間が正直者ではないのか。死に場所を求めているのだ。

 

2025.3.1