眠れない夜の日記[416/1000]

夜中にふと目が覚めて、眠れなくなる夜もある。鴨長明は、夜中にふと目が覚めたときは、囲炉裏のなかをかきまわして、まだほのかに温かい炭火を楽しんでいたらしい。なんとも贅沢な夜である。

私はというものの、森のなかで暮らしているが、まだ家はない。しばらく木々が揺れてるのを眺めていたが、どうも夜の森というのは淋しく、怖ろしいものであるので、気を紛らわすように小さな灯りをともし、紙と鉛筆をもって、こうして言葉をかいてみることにしたのである。こんな夜は、長明の孤独な心とつながるようである。

 

無計画に進めてきた森の家づくりも、いよいよ家と分かるくらいまでには形になってきて、終わりまでの見通しも立つようになった。そんなに大きな苦労があったというわけではないが、まったくないというわけでもない。森の家に住むことを思うと、まだ現実とは思えず、ふわふわとした夢心地がするものである。

 

これからどうやって生きていこうかと考える。しばらく貯金のあるうちは、畑でも耕しながら、静かに本を読んで暮らそうかと考えていたが、想像以上に出費がかさみ、もう数カ月もすれば金が底を尽きてしまう勢いである。とりあえず、一か月に2,3万円もかせげば、生きてくことは十分であるから、なにか自分にでもできる仕事を探そうか。

魂の失われた社会に浸っていると、絶望と虚無の苦しみにやりきれない気持ちになるのだが、世相の表皮はどうであれ、ここは先祖たちがつないできた日本である。他国から命をかけて守り抜いてきた日本である。大地には、先人の魂が眠っている。そう思うとき、社会に立ち向かわなければ、本心を偽ることになる。いや、本心ではない。心が嫌がろうと魂こそがここにぶつからせるのである。

 

だが、今の自分の力量を過信しない。このまま行っても、社会の冷気に心身が冷やされ、再び鬱になってしまうことが容易に想像できるのだから、自己の内に簡単には消えることのない魂の炎を燃え上がらせたいと思うのである。私の隠遁の目的の一つはここにある。書物につかり、日本人としての自覚、人類としての自覚を掴みながら、自分なりにできることを何とかしてあみ出したいと願うのである。

だけども、冷気によって鬱になるかなるまいかという問題は、毒を食う力の問題でもあるから、あまり厭世的になることをよしとせず、地獄を楽しむくらいの心意気は常にもっていなくちゃいけないな。

 

長々とこれからのことを書き綴ってきたけれども、大きなところでは運命に任せるという態度をつらぬきたいとおもう。ああ、日本の魂に思いを馳せていると、三島由紀夫のことが心から離れなくなってしまった。どうせ眠れないのだから、ここらで筆をおいて、「美しい星」でも読んでみよう。

2023年8月10日 眠れない夜の日記。

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