玄翁(げんのう)で釘を叩く音が、森に気持ちよく響き渡る。四メートルある杉板を、立ち上げた柱にどんどん打ちつけていく。近年は、釘の代わりにビスで済ませてしまうことが増えたと聞くが、やはり古典的な大工の姿といえば、金槌をつかって釘をトントン叩くものではないだろうか。電動インパクトを使ったビス打ちは、近代化の賜物にちがいない。簡単にやり直しがきくし、便利である。しかし、玄翁のそれほど魂に響くものはない。トントンと玄翁を打ちつける姿は、家に命が吹き込まれるような、力の流動を彷彿とさせる。玄翁を叩きながら、無心で打ちつけている今が、家づくりにおいていちばんの花形だろうと感じる。
実用的な話をすれば、ビスと釘は一長一短だ。螺旋状に入っていくビスは引っ張りに強く簡単には抜けないが、水平方向の力に弱く、案外簡単にポキッと折れてしまう。一方、クギは引っ張り方向の力に弱く抜けやすいが、水平方向にはめっぽう強い。地震のような横揺れにも、曲がることはあっても簡単には折れない。ツーバイフォー工法のように、合板の面で強度を担保するなら、ビスでも間に合うのだろう。それが今日、玄翁を振るう大工の姿を目にしなくなった理由の一つに思う。昔の家の味わい深さは、そんな作り手の苦労から注がれたものではなかろうか。
失敗、失敗の毎日だ。その度に下手くそな己を罵りたくもなる。だが、力による克己に努めると決めただろう。基礎土木に苦労したあの日から、気づけば”時”がここまで運んでくれた。毎日、毎日、目先のことを全力でやるのみ。家づくりはまだまだつづく。
2024.12.10