おお、わたしの友だちよ!認識者として、わたしは言おう。羞恥、羞恥、羞恥―これが人間の歴史なのだ!
だから高貴な者は、ひとに羞しい思いをさせないようにする。また、すべて苦しみ悩む者を見ると、自分自身が羞恥を感じるように努める。
まことに、わたしは他人に同情することで、同時におのれの幸福をおぼえるような、あわれみ深い人たちを好まない。かれらはあまりにも羞恥の念にとぼしい。
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」
気づかぬうちに病は進行する。気づかぬうちに脳髄は衰弱する。考える力を失い、運動する筋肉を失い、自然を敬うことを忘れ、魂の欠如を恥とも思わず、歩くことを忘れ、食べることをも忘れた。屈辱を感じることさえできぬ、何の矜持も持ちえない肉体は、呪われていると言わずして何であろう。
肉体を貪り大地を汚している。生命の固有性を失うほど、常識と生活に呆けてゆく。無自覚に自然と文化を破壊しながら、感謝の歌に酔い痴れることを偽善といった。湿気て薄暗い部屋は、腐敗とともにカビと虫がわきだす。偽善に苦しむ人間は、かくして風と太陽を求め外へ出る。
おお、身体が風に洗われる。陽に命が投げられる。情景への憧れはとうに捨て、地上の悪行も厭わない。風となり太陽となるまで、あとどのくらいかかるだろう。屈辱と誇りがひどく混雑している。殺され、生かされ、赦され、拒絶され。揉み合い、せめぎ合い。沈みゆく生命は祈りをあげる。ああ、力よ。永遠よ。
2025.1.17