私の棲む森は、標高1000mの地点にあり、冬はマイナス10度以下に冷え込むこともある。日中も最高気温が氷点下である日も特別めずらしくなく、ペットボトルに汲んできた水はストーブのそばに置いておかないと、凍って飲むことさえできなかった。昨冬は、自分の手がけた小屋で隠遁生活をしていたが、いかんせん隙間だらけの仕上がりで、小屋の中は外気温とちっとも変わらなかった。薪ストーブにべったりと近づいてようやく温まることができたが、1mも離れれば外気の冷たさが勝ってまったく暖かくないのである。背に腹は代えられぬ思いで、すきま風から身を守るため、スーパーからもらってきた段ボールを壁に貼り付けた。加えて、ホームレスがよくやっているような、段ボールハウスを寝台の上に組み立てた。文字どおり、毎日が生きるか死ぬかの戦いだった。
まことに不思議なことに、今年の冬はちっとも寒いと感じないのである。特別、暖冬というわけでもない。既に氷点下8度を記録しているし、日中も最高気温は0度である。よく、私の家づくりを気にかけてくれる隣人が「昨日は寒かったでしょう」と心配しに来るが、別に寒いと苦労したことは一度もないのである。きっと家づくりに夢中になっているから、毎日動いて身体は熱くなり、血行もいい状態なんだろうと想像するが、それを踏まえても妙に感じるのだ。
私にはどうも、冬がほんとうの姿を隠しているように思えるのである。生命に死を感じさせるあの高潔な冬が、その鋭い牙を隠し、平凡な季節に変装しているように思えるのである。それとも、やはり変わったのは私のほうで、世に足を着け、生活者となった私は、冬を見る目を失ってしまったのだろうか。自然を克服したつもりはない。だが、冬を知らない生活者は、たいせつなものを失ってしまった。信仰。寒くなるのと反比例して、肉体のうちに燃え盛る炎。
年の暮れのなかにいて、冬が、季節が、とても恋しい。
2024.12.25