凡人にとっての価値ある生涯【ひぐらし書簡-第1信】

さいごにお手紙を差し上げてから一年が過ぎました。夏の猛暑も過ぎ去り、秋の風が木葉の影を揺らしています。貴兄は元気にしているだろうか。

 

私はというもの”貧乏暇なし”とでも申しておきましょう。この夏は一日も休むことなく働きに出ておりました。朝の二時、ないしは三時に起床して新聞配達に出かけ、その足で畑に向かって野良仕事をします。農家の仕事は収穫が主ですが、それ以外にも種まきをしたり、苗植えをしたり、草刈りをしたり、季節によっては稲を刈ったりします。働きどおしでよく体を心配されますが、むしろ自然に鍛えられ、日に日に頑丈になっている気がいたします。

 

「職業に貴賤なし」という言葉があります。これは医者や政治家のような地位も名誉もある方が口にすれば高飛車に響き、かといって私のような肉体労働者が口にすれば格好のつかない強がりに聞えます。それでも私が毎日働きに出るのは、この言葉の真実味を日に日にかみしめているからであります。

金をもらうことは人様の役に立ち、社会から必要とされた証明です。その点、金を稼ぐことは立派なことです。「金は卑しい」といって慎ましい暮らしている人間が、道徳家であるという認識は必ずしも正しいものではありません。大きく稼ぎ、国や社会のために金を捧ぐ事業家が、真の道徳家です。もっとも人間を貶める事業や、欲望の奴隷にする事業、幻想としての幸福を売り物にする事業には大義は立ちません。大義を失い、魂を失った社会において、青年が金を稼ぐことに何ら興味を示さなくなったのは、いたって健全な成り行きに思えます。

 

「金を稼ぐことよりも、自分のやりたいことを楽しくやればいい。」という考えもまたヒューマニズムの醍醐味であります。しかし、文明社会との軋轢なくしては人間の魂は浮つき、やがて荒んでしまうことを私は身をもって体験しました。もちろん稼ぎがよく、華々しい立派な仕事に就くことは、少年少女の夢です。しかし、たとえ最低賃金の仕事であっても、生命に打ち立てられるあの”重厚な質感”は、むしろ人目につかない泥くささのなか、苦労々々に反逆し、天を睨めつけたときに空から降り注がれるものではないでしょうか。自給千円の肉体労働だとしても、社会の益に立つことはナルシシズムを越えた価値があります。つまるところ、雨風に打たれ泥まみれになろうと、いかなる仕事であろうと、胸を張って突進していこうではないかと、貧しき同志に私は語るのです。

 

最近、内村鑑三の「後世への最大遺物」という本を読みました。これは、明治27年に開設されたキリスト教徒夏期学校において、明治最大のキリスト教思想家である内村鑑三の講演を著述したものです。とても感銘を受け調べたところ、百年以上も語り継がれる名講演と評されるものでした。われわれは地球に生を享け、日本の国土に生まれ、現代を必死に生きています。やがて臨終の時を迎え土へと還るとき、何を後世に遺せるのかを問うた話であります。

 

私には金を稼ぐことも思想や哲学を編み出すことも、自己がこの世に存在していることの脆弱さを克服せんと編み出されるものに思えます。誰しも一度は、死んだら無に帰する恐怖に直面し、どうすれば歴史に名を残せるか思慮を巡らせたことはあるでしょう。私もまた小学生のころ思案し、凡人の自分には歴史に名を残すことなど到底不可能だと、静かに絶望したことを憶えています。

本来はこうした絶望はひた隠しにせず、向き合うことで人間は大きくなるでしょう。しかし、周りの大人も同じように絶望しているのですから、われわれはこの問題になるべく触れないように、ちょうど都合よくヒューマニズムを利用し、「幸福に生きること」に人生の意味を置き換え、死んで無に帰することの絶望には蓋をしています。

 

内村鑑三はこの問いに対し、愛の深い結論を披瀝します。金を稼ぐ力がなくとも、思想や文学を書く才能がなくとも、私のような凡人にもできること。

それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。[p54]

内村鑑三, 「後世への最大遺物」, 岩波文庫

 

名文中の名文を前にして、これまでの私のお手紙がすっかり霞んでしまいましたね。ですがこの感動を貴兄に共有できたら光栄に思います。

まことに、勇ましい精神と高潔なる魂を抱き、立ち向かわんとする態度だけは誰にも奪われないものであります。たとえ地位も名誉もなく、収入もない貧しい場所にあっても、どうか精一杯やろうではありませんか。高潔なる心をもって進んでいこうではありませんか。その心をお伝えしたくこうして手紙を差し上げた次第です。

末筆ながら、季節の変わり目どうかご自愛のほどお祈り申し上げます。

令和七年十月十五日