緊迫した手術室らしからぬ、軽快な洋楽が流れている。まさかダンスでもしながら執刀するわけでもあるまい。十中八九、患者を安心させるための演出だろう。治療台に横たわると私の身体を柔らかく温かい厚手のタオルケットが覆う。左腕にチクッとした痛みが走ると点滴の管が繋がれた。
「少しずつ眠くなります」その声を最後に、まもなく目の前の世界がゆっくりと回転をはじめた。あっけないものだった。朦朧する意識の内側で、これ以上瞼を開けておくことは難しいと悟った。自分の意識が介入したのはここまでである。強制的に眠らされるという人生初めての奇妙な体験、その快感に沈んでいった。
「終わりましたよ」という看護師の声に引き上げられて目を覚ました。夢を見ていたような見ていないような。ただ深く眠った感覚だけが残っていた。「ラッキーでしたね」と先生の姿が視界に割り込む。生えどころの悪かった歯であったが、歯茎を切開し骨を削ることもなく、真っすぐ抜けたようである。術前の想定における「最善のケース」を引き当てたらしい。
まだ思い通りに動かぬ身体を、四、五人の助手が移動式ベッドに移した。半ば混濁する意識を転がるようにして、私はあの親しみ深き病室へと還って行った。
病室に戻った私は深い感動に震えていた。最高の形で手術を終えられた歓喜は二の次であった。では、一体何に。
それは「俺は車に轢かれても死ぬまい」という少年時代特有のナルシシズムにも似た、「俺は全身麻酔を打たれても眠るまい」という自己を英雄視する自意識が、脆くも打ち砕かれたことへの感動であった。自分が何の変哲もない普通の人間であること。死すべき時に死せる人間であること。それが最新の科学によって間接的に証明された事実に、私の心は激しく揺さぶられていた。
さらに感動を増幅させたのは、全身麻酔という技術そのものの鮮やかさである。術前の極限まで高まった緊張と不安は、一瞬の暗転を経て、安堵と歓喜に一変した。まるで凄腕の術者のまじないに陶酔したような、摩訶不思議な感情の変化(へんげ)であった。
手術室についたのが13時。終わって病室に戻ったのが14時半。約1時間半の間、私は眠っていたことになる。部屋に戻っても、私の左腕には点滴の管が繋がれていた。痛みはない。痛み止めが効いているのだろう。その代わり、麻酔中、人工呼吸器を喉から差し込んでいたために、喉の奥のほうがイガイガして気持ち悪い。それ以外に不調はなく、日記を書くこともできれば、麻酔がきれると中庭を散歩することもできた。
ベッドで横になっていると、同室のおじさんが「おかえり」とカーテンの隙間から手を振ってくれた。おじさんの第一印象は最悪だった。カーテン越しに看護師に横柄な態度を取るおじさんの声を聞きながら、「ハズレくじ(部屋)」を引いたと己の不運を呪った。だが、話してみれば存外、気のいい御仁だった。
私は手をあげておじさんに応えると、病院という異空間で形成される人情について思いを馳せていた。
寝心地の悪いベッド、味の薄い飯――もっとも、私の日頃の食事はより質素なので全く気にならないが――病によって運命の兄弟となった患者たちは、同じ屋根の下で自らの苦痛を通し、他者への同情を育むようだ。
看護師たちには頭が上がらない。患者の義務をろくに果たそうとしない傲慢な者に対しても、彼女たちは何ひとつ嫌な顔をせず、誠実に身の回りを世話している。女だからと軽んじられることもあるだろう。それでも辛抱強く働く彼女たちを見ていると、私の「くじ運」への不満も、卑小なものに思えてくる。
そして、この異空間の頂点に君臨するのは医師である。私を担当した女医は非常に聡明な顔立ちで、おそらく三十前後の新鋭と推測した。術後、回復してまもない私の目の前で、プラスチック容器に入った抜歯を健気に揺らして見せたあの瞬間、私の胸中に生じた感情は「ときめき」に近いものだった。命を預け、運命を委ねたという事実の重さだけで、患者は職分以上の感情、つまり抗いようのない相手に惹かれる力が働くことは、一般論として十分ありえるだろう。私は若い女性だからという理由で一抹の不安を抱いた自分を深く恥じなければならなかった。
病院という異空間で形成される人情。その最後を飾るのは、見舞い人の存在である。ありがたいことに、こんな私にも足を運んでくれる恩人があった。異国の地を旅する者が、不意に出会った同胞や慣れ親しんだ味に救われるように、病床で知った顔に再会することは、何物にも代えがたい福音となる。
手術前夜、彼女が持参したおにぎりを頬張っていると、胃の底から軍鼓が鳴り響くようだった。弱気は吹き飛び、これは必ずうまくいくという、理屈を超えた勇ましい予感であった。また、遠くから案じる言葉を届けてくれた家族や友人たちの存在も、私の心を励ましてくれた。この場を借りて、深く感謝を記したい。
以上の人間的な結びつきを経て、私は病院という場所に一種の「運命共同体」としての感覚を得た。我々一同は、皆それぞれに苦しみを背負いながら、共通の敵である「病」と闘う戦友であった。
この共同体の底流を支えているのは、ある種の「霊性」ではないか。ここは、血が流れる恐怖や、排泄の忌わしさ、老い、病、死といった、人間が本能的に目を背けたくなる「肉体の生々しさ」が剥き出しになる場所である。普通、人はそこから逃げ出したくなる。しかし、医療に従事する人間は、その醜悪さの渦中へ、慈しみと誇りを持って自ら突き進んでいく。患者は、自らの醜さ、恥ずべき過去を直視しなければならない。
肉体の極限、その最も過酷な地点で他者に尽くそうとする時、人は単なる職業人を超え、崇高な精神を宿す。この精神が「霊性」の媒介者であり、その在り方が何よりも清らかなのだ。
なにはともあれ、全部無事に終わった。手術前夜に「烈々と燃えて散りぬる松薪の 煙のあとを我は追うかな」などと格好つけて詠んだ辞世の句も、万が一と案じて認めた両親への遺書も、もはや必要なくなった。あとは鈍い痛みと戦いながら、抗生剤によって一時的に損なわれたマイクロバイオーム(微生物生態系)を回復させるだけだ。
薬はなるべく飲みたくない。利権に牛耳られたものからは距離を置く。日頃、東洋医学を慕う私は、昨今の西洋医学の在り方にどこか冷ややかな視線を送ってきた。だが、ペニシリンの発明によって人類が感染症に勝利したあの日から、今日の高度な専門技術に至るまで、人類は絶え間なく歩みを進めてきたこともまた事実である。
私は最先端の医術の当事者となったことで、科学と進歩の根源に横たわる、先人の涙ぐましい努力、――それから病棟の隅々にまで満ちていた、今も変わらぬ巨大な「人類愛」の一片に触れたような気がしたのである。
最後に改めて、治療にあたってくれた先生や、身のまわりの世話をしてくれた看護師、薬剤師や清掃員の方々、同室のおじさん、それからおにぎりを持って見舞ってくれた友人。この清らかな運命共同体に連なるすべての人々へ、最大限の感謝を述べたい。
<追記>
感動に震えたその夜、私は結局一睡もできなかった。同部屋のおやじが放つ気配に敏感になりすぎていたのである。やはり「ハズレくじ」だったのか。いやきっとどこの病室も同じようなものだろう。夜中の三時、私はついに耐えかねた。布団と枕を抱え、廊下のソファへ脱出するという「隠密作戦」を企てた。ところが、忍び足でドアを開けた途端、巡回中の看護師にわずか五秒で捕捉された。事情を察した彼女は、私を咎めるどころか、病室から離れた食堂のソファを使うよう優しく案内してくれた。私はその場所で、かつての粗野な野宿を思い出すような、奇妙に冴えわたる眠れぬ夜を過ごしたのである。
明け方、眠ることを諦めて早朝の戸外を歩いた。見上げれば、病院を囲む桜が、美しく風に吹雪いている。まったく。神の試練とは、なんと美しく、そしてなんと迷惑なものだろうか。花びらは、私の空っぽになった奥歯の隙間を埋めるように舞い続けていた。




