楽しく生きることは、私たちが思っている以上に、すごく簡単なことです。
- 楽しくないことを辞めて、楽しいことをする
- 楽しくないことを、何らかの意味付けにより、楽しいことに変える
シンプルに考えれば、心がけることは、この2つしかありません。
そして、これら2つにお金がかかることは、ほとんどないのです。
つまりそれは、
『貧乏でも楽しく豊かに生きられる』
ということです。
私はいま「貧乏(=お金を使わない)」生活を送っています。
家を持たず、最低限の物だけをカバンに詰め込んで、テントで暮らしているのです。
生活のなかで新しく物を買うことはなく、食費以外にほとんどお金は使いません。
この生活を始めて、2ヵ月が経ちますが、「早く明日こないかな!」と思えるくらい、朝起きることが楽しみになりました。
もちろん、最初からずっとそうだったわけではなく、嫌々起きることはなけれど、至極楽しみというほどでもありませんでした。
少々特殊な事例ではありますが、こんな「貧しい」生活をしたからこそ得た、「豊か」に生きる知恵を、ここでは書き綴りたいと思います。
1 貧乏でも楽しく生きられる理由
貧乏でも楽しく生きられるというのは、
本物の豊かさが、物質世界の充足ではなく、精神世界の充足にあるから。
お金で楽しさが買えると思われているのは、「物を買うことで、心は満たされる」という消費の概念が根底にあります。
消費しなければ、楽しさは生み出せない…..つまり「お金がなければ、楽しい生活を送れない」ということですね。
お金の代償に得られる楽しさは「快楽」と言われるものです。
手っ取り早く手に入る反面、長続きすることなく、その場かぎりの楽しさであるという性質があります。
一方で、お金を必要としない楽しさは、「楽しみは、作り出すことができる」という生産の概念にあります。
恋をすること、夢や目標を持って充実した日々をおくること、自分の成長を感じること、学んで知恵を育むことなど、様々ですね。
ここで得られる楽しさは、「充実感」に似たもので、後味が良くなる特徴があります。
主体的に何かに取り組むことが求められる点で、多少の苦労は伴いますが、その分心の喜びも大きいのです。
残念ながら、前者のような「快楽」に人生の楽しさを見出そうとすれば、お金がないと豊かになることはできないでしょう。
しかし幸運なことに、人間は後者のような「充実感」にも、人生の楽しさを見出すことができるイキモノです。
つまり、精神世界の充足を指標に生きれば、大金を注ぎ込まなくとも、豊かに楽しく生きることは可能ということです。
快楽と充実感の具体例については、こちらの記事に詳しく述べております。
具体例を参照したい方は、ご覧ください。
以下、私の実例を紹介します。
2 貧乏でも楽しく生きるためにスマホを使うのをやめた
私はスマホを使うのをやめました。
厳密には、スマホは持っているのですが、1日の中で使う時間は、10分程度です。
メールをチェックしたり、LINEの返信をする程度ですね。
これは、私にとって大きな変化でした。
私は意志の強いタイプではなく、かつては惰性的にSNSを眺めては時間を浪費してしまう…..
時間の浪費だけならまだしも、心も消耗させてしまう、なんてことが多々あったのです。
「試しに、TwitterもFacebookも、消してみよう・・・!」と思い立った私は、
- 連絡手段として利用としてるLINEを除いて、すべてのSNSのアプリは削除して
- 全アプリの通知をオフ
にしてみました。
番長
最初は「不便になるかな?」と思ったのですが、驚いたことに不便することはまったくありませんでした。
これは俗世間から少し離れた位置にいる、私の環境だからできることかもしれませんが、このおかげで毎日を自分のやりたいことのために使うことができるようになったのです。
スマホに惑われなくなった時間は、
- 読みたかった本を読むこと
- ウクレレの練習をすること
- 文章を書くこと
に注ぐことができるようになりました。
盲目的に心が消耗することはなくなり、学びや成長の機会は増えました。
そのおかげで、いつも活力を感じています。
考えてみれば、スマホを手放すことで、自分を大切にできるようになるのは、理にかなっています。
- 「誰が今何をしているか」よりも、「私が今何をしたいのか」
- 「社会で今何が起こっているか」よりも「私の目の前で何が起こっているか」
- 「なんとなく眺める」ことよりも、「自分が何を眺めたいのか考える」
ことを大事にしたほうが、自分を大切にできますから。
それに大きなニュースは、人から自然と入ってきます。
先日、元教師の方が世界一周中にペルーで亡くなったという、悲しい出来事も職場の方から聞きました。
私と同じ境遇の方であるゆえ(私も元教員で世界一周をもくろんでいる)、ここ最近で一番のショックを受けたニュースでした。
しかし、入ってくるべきニュースは、自然と耳に入ってくるのだなと痛感した瞬間でした。
3 貧乏でも楽しく生きるために恋をした
朝起きるのが楽しみになったのは、恋のおかげといっても過言ではありません。
恋の病を患れば、1日中そのことしか考えられなくなります。
そうすれば、
- 嫌なことを考える時間は必然と減り
- 好きな人(こと)を考える時間が必然と増えますから
生きることが楽しくなりますよね。
働いているときも、寝る前も、ずっと好きなことを考えてしまう…、「だから早く明日こい!」って思える。
それってすごく幸せなことだなと思います。
私は、恋について語るには経験の浅い人間ですが、
『恋をする相手は、必ずしも人とはかぎらない』
と思っています。
私はウクレレの奏でる音色がとても好きで、美しい振動を弾き上げることができると、とてもワクワクするのです。
「ドキドキ」「ワクワク」は、胸の高鳴りを表した言葉として使われますよね。
この「胸の高鳴り」こそが恋そのもので、人生をドラマティックに彩るサインだと私は思っています。
- 魅力的な異性にドキドキすること
- 自分の好きなことにワクワクすること
そんな心のときめきを受け取るかどうかは、その人(モノ)の魅力を受け取る覚悟(=傷つく覚悟)を持つかでしょう。
ほんの少しの勇気で、心はいつも若く、毎日を踊れる。
そんなことを実感しています。
4 貧乏でも楽しく生きるために徳を心がけた
私は徳のある人間だなんて、恐れ多くて言えませんが、
徳行はお金をかけずとも、心を磨きあげてくれるものだと信じています。
徳行を一言で表せと言われれば、「自分に対して誠実に生きること」だと答えます。
先にあげた、「惰性的に生きることをやめること」も「ときめいた恋をすることも」、すべて徳行に支えられたものです。
徳行は、心を純化させます。
損得に生きる頭の働きが弱まり、相対的に心の働きが強まるからです。
道に落ちているゴミを捨てる、汚れている公園の掃除をする、といった些細な行為のレベルからでも、自分に対する自信は生まれますよね。
これは恐らく、
- 徳行が、人間の存在(Being)を肯定する要因となり
- 存在(Being)を肯定された人間は(徳のある人間として)、無条件に自己を肯定できるから
でしょう。
心が純化すれば、心はときめきやすくなります。
それだけ、夢や恋のような「楽しみ」に生きやすくなるということです。
私自身、徳行を心がけ、調子づいてきた自分の鼻をへし折れば、また徳行を心がけ……
の繰り返しではありますが、「楽しい」と心が純粋に感じられているときほど、徳を大切にできていると感じます。
貧しさの中の徳行は、『マッチ売りの少女』のような純粋な心の美しさをおぼえます。
そんな美徳を持つ人間に、私は魅力を感じます。
5 まとめ
以上、私の体験をもとに、お伝えしてきました。
- 惰性的に生きる時間を減らし、自分の大切なことに時間を使う。
- 恋をする。好きなことをいつも考える
- 徳行を心がけて、心を純化させる。
抽象的にまとめると、ありふれた文言になってしまいましたね。
1つの具体として、何かの気づきになれば幸いです。
楽しく生きましょ!
では。
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