「絶対積極の精神」と「絶対負」について[358/1000]
尊敬する中村天風先生の中心思想である「絶対積極の精神」と、執行草舟先生の中心思想である「絶対負」が同じものであると直感した。積極の精神ではなく、”絶対”積極の精神である。負のエネルギーではなく、&…
尊敬する中村天風先生の中心思想である「絶対積極の精神」と、執行草舟先生の中心思想である「絶対負」が同じものであると直感した。積極の精神ではなく、”絶対”積極の精神である。負のエネルギーではなく、&…
宇宙は愛でできているのだとしたら、余すことなく全体を食べることは、自然界の掟のとおりである。 全体性の確保された食事ほど、それが複雑な料理として編み出されているほど、そこに神を感じ、芸術を感じ、愛を感じ、美しさを感じるよ…
交通機関によって、移動時間はかなり短縮されたが、余剰時間で、大半の人間はしょうもなくスマホを眺めている。余暇が生まれることによって幸福になると信じられていたが、余暇を幸福のために使うには少しばかり知恵がいる。私は歩いてい…
自己の生存に必要な分量が分かると、生活における生存の不安は減る。金があるのに「飢え死にしないか」と不安に浸されることも、そのために自分を労働に虐げることも減る。「老後にはこれだけの金が必要」とは一般論に過ぎず、自己の場合…
生存というと、生活保護とかホームレスとか、陰鬱なイメージが付きまとうけれど、もっとポジティブな問題として考えていい。 なにか生活というものを大事に考えすぎるうちに、糸が複雑に絡み合って、本来したかったことをものすごく遠回…
生命の存在を考えることを”生存”、生命の活かし方を考えることを”生活”という。 生命は生存の問題が先にあって、その上に生活の問題があるのだけれど、生存のほうは「今日生きてい…
もし、他者の人間の孤独が感じられたら、我々は孤独に悩まされることはない。そんなことができるのかと疑うだろうが、私はその画期的な方法を見つけた。 まず町を散歩する。気の赴くまま自由に歩いたらいい。もし迷うようなら、行ったこ…
「俺(おい)は生まれつき弱か。心の弱か者には、殉教さえできぬ。どうすればよか。ああ、なぜ、こげん世の中に俺は生れあわせたか」 (中略) 迫害の時代でなければあの男も陽気な、おどけた切支丹として一生を送ったにちがいないのだ…
知っているか。森林が開拓される前の日本は、雑木林がいたるところにあって、年間200種類ともいわれる山菜やキノコが採れたらしい。植物の種類も多いから、色んな動物が棲みついて、ウサギやイノシシ、キジやヤマバトなんかも手に入れ…
自然のなかで野菜を育て、自然を食べることの営みが、神に通ずることを知った。百姓にとって自然に仕えるとは、武士が主に仕えるようなものだったであろう。 自然に仕え、自然の神秘の循環に自己を還していく。いかにも自然を愛する日本…