ツァラトゥストラの見た金の鱗を持つ竜、シーシュポスに岩転がしの刑を処した神は、「希望」を餌に人間を支配しようとしてきた。もっとも、神は世界を意味で満たそうとする人間が創り出したものだ。神は希望に生かされ、希望を破棄したとき、その姿を消す。辛抱強く働け。立派な君主であれ。恩義を重んじろ。規律正しく生きろ。さすれば救われる。それが神や文化、あるいは国家の提示する天への道だった。
なるほど。俺も竜の鱗の一部となり、永遠に空を舞えるようである。本当か?俺は空を見上げて「いつかあの輝かしい鱗の一部になれる」と希望を抱きながら、重たい砂漠を歩き続けた。ここに一つの不満が芽生えたのは、どこからとなく吹き込まれた人間の理性によるものだったと思う。この悟性の萌芽こそが、ラクダが獅子へと変貌する決定的な契機であった。なぜ今を拒絶して、いつかのために生きなければならないのか。なぜこの痛みと苦しみをお前に明け渡さなければならないのか。
ラクダの皮を破り捨て、我欲すると吠えた獅子が最初に出遭うのは、まばゆい自由ではなく、言葉を失うほどの荒涼とした虚無であった。「今ここ」はなんと騒音に満ちていたことだろう。静まり返った砂漠の上で、俺の獅子は途方に暮れた。かつて、旅路の果てに俺を襲ったあの際限なき虚無が思い出されるようだ。何もかも失い、あの頃に逆戻りするのではないか。魂は耐えられるのか。
この日、眼前に小さな岩が見えた。金もない。仕事もない。地位も名誉もない。孤独。ーーふん、そんなものだ。それでよし。すべてよし。ただこの不恰好極まりない岩を転がしていこうじゃないか。
R8.5.19





